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2016年01月の記事一覧

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日本の自動車市場 

「閉鎖的な市場」米・フォードが日本撤退へ
1月26日(火)9時25分 日本テレビ系(NNN)

 アメリカの自動車大手・フォードが今年限りで日本から撤退する方針であることが分かった。

 アメリカのNBCテレビなどによると、フォードは25日、社員などに送った電子メールで、「日本は閉鎖的な市場で、輸入車は販売された新車全体の6パーセントでしかない」として、日本の市場から今年限りで撤退することを明らかにした。高齢化と、若い世代の“自動車離れ”が進む中で、「利益を上げる合理的な道筋が見えない」ことも理由に挙げている。

 フォードは全米第2位の自動車メーカーだが、日本自動車輸入組合によれば、日本での2015年の年間新車登録台数はメルセデスベンツの6万5162台、BMWの4万6229台に対し、フォードは4968台と大きく差をつけられていて、ここ数年業績も低迷していた。


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 久しぶりに記事ネタです。
 アメリカのビッグ3のひとつ、フォードが日本市場から撤退するというのは、経済的な影響は小さくても、私のような自動車ファンにとっては大きな衝撃です。

 実際、外国メーカーからすれば日本市場はどういう存在なのか、あらためて考えさせられますね。けっして小さい市場ではありませんが、日本は国産自動車メーカーが多く、以前ほどではありませんが、外国メーカーには不利な面があります。
 具体的には、アフターサービスを強く求める、小型車を好む、軽自動車の存在などでしょうか。

①アフターサービス
 日本には車検制度があること。それから自動車を自分で管理・整備する習慣もない(他国であるかどうか知りませんが)ので、何かあったらすぐにディーラーに駆け込みます。なので、ディーラーとしてはアフターサービスを充実させ、納車後も丁寧にその顧客と付き合い続けることが要求されますし、ディーラーもそういう努力をしてきました。
 おそらくクレームに近い要求がされることも多いとは思いますが、日本メーカーはその風土を受け入れ、販売網を維持してきたわけです。
 今となっては、販売時には値引きをしても、アフターサービスでのつながりを維持することで、修理・点検で収益を確保することが重視されています。
 そういうアフターサービスの充実は、外国メーカーには大きい負担です。部品も取り寄せとなるとかなり高くつきますので、日本人からしても、外国車に対するアフターサービスの不安を持つ人が多い。実際は外国メーカーもそういう日本の風土にあわせてしてきているとは思いますが。

②小型車を好む
 日本は都市部・山間部で道路が狭いことが多い。郊外のニュータウンでは困らなくても、都内の住宅地では大型車は苦しいですよね。
 また、人口密度が高いために駐車場がすくなく、店舗の駐車場などは幅がかなり狭いことが多い。私のレガシィは5ナンバーを僅かに超える程度の幅ですが、それでも上皇に窮屈に感じることが多いです。さらにいえば、立体駐車場も多く、これも車幅制限が大きいので、小型車が有利です。
 小型車の必要があまりないアメリカメーカーには、その時点で不利です。ちなみに欧州は古い街衢が多く、やはり小型車の需要があるので、欧州メーカーはあまり不利ではありません。寧ろ日本にはない素晴らしい小型車があります。

③軽自動車
 もともとは脆弱な日本の自動車市場の中で、小型の商用車などの対策として生まれた「規格」です。普通自動車と違って制約がある分、安価で気軽に使えるものでした。
 ところが自動車税が安いなどの有利さが残るにもかかわらず、性能が向上して普通自動車と同じように使えるようになりました。小型で扱いやすいけど、高速道路でも普通車に遜色ないので、運転が苦手な人にもいいですよね。また、生活に自動車が必需品という地域では、複数台所有するのにちょうどいいという面もありました。
 日本は逆にこの規格の中で技術を磨いてきました。小さいエンジンで効率を高め燃費を向上させたり、過給器で高出力を得たり。小さいサイズの中で居住性と衝突安全性を両立させる工夫もしています。
 こうなると軽規格は「制約」ではなく「特長」になっていきました。
 しかし、日本にしかない特殊な規格ですから、そんな車作ってない海外メーカーにしてみれば参入が厳しい。優れた小型車を作っても、維持費が軽自動車にかなわないのです。
 先代のスマートはたまたま軽規格の範囲に収まっていましたが、めったにありませんね。
 なので軽規格は日本メーカーにとって海外小型車から市場を守る既得権益になっています。海外メーカーからすれば不満を持つのもよく分かる。かといって、軽自動車市場は日本ですっかり定着し、成熟していますから今更なくすことはできないでしょう。

 こういう特殊な日本市場を刺して、アメリカメーカーは「閉鎖的である」と指摘します。軽規格に関してはたしかにそのとおりですが、普通自動車ではどうでしょうか。
 外国車に対して日本には高級車のイメージもあって、少々高くても売れてしまうメリットもあります。経済力もありますから、高級車メーカーにしてみれば魅力的かな? 実際フォードよりポルシェのほうが売れてるわけです。
 普通車の世界では特に輸入車に対して制約はなく、国民の中にも「ガイシャ」に対する憧れは強くあるので、うまくやれば儲かる市場でもあるのではないでしょうか。

 実際、メルセデスは本国で販売するような廉価版は日本では販売せず、超高級車としてのイメージを維持することで大きな収益を確保しています。
 小型車市場ではミニの成功はいうまでもありませんし、VWは大きな問題がありましたが、ポロやUP!など魅力的な小型車を売っていますし、フィアット500も可愛い外観からよく売れています。
 こうみると「閉鎖的」という表現は普通車においては通用しないことが分かります。

 翻ってフォードが日本で展開するモデルを見てみましょう。
 ムスタングのような特殊な車はさておき、まず大型のSUVが多い。日本はSUVにはタフな走行性能より、高級感を求める傾向が強いですから、エクスプローラーなどはやや弱い。正直に言えば、値段の割に質感が劣る。
 ポルシェのカイエンなどが理想なのですね。
 中型車ではフィエスタやフォーカスなどがあります。アメ車のイメージにそぐわない非常に素晴らしい車ですが、日本人の感性に訴求するほどではない。デザインも悪くないけど日本車との差が見えないですね。
 超小型車では昔「Ka」というのがありましたが、おもしろそうでもATが無かったり、質感最低だったりして全然売れませんでした。

 つまり、日本が求める上質な高級車、機能的な小型車がフォードにはないということです。日本がほしいクルマがないんだから、それを「閉鎖的」といわれるのは納得できません。
 ただ同情もしますけどね。アメ車に対して「デカくて燃費悪い」というイメージは根強くて、もうそうでもないんです、というのは浸透していません。それに、そのイメージのままの車もありますしね。

 日本車はメーカーが多いせいもあり、かなりバラエティに富んでいますし、どのジャンルにもそれなりに競争力がある車がそろっています。
 日本車に足りないのは、誰もが唸るブランドと質感・デザインに秀でた小型車。それを作れる海外メーカーは売れます。フォードにはそれがなかった、ということですね。

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掛川城・由比ツアー 

 先々週に娘を横浜市歴史博物館に連れて行きました。昔の道具調べ、ということで行ったのですが、博物館が思った以上に楽しかったようなので、先週は江戸東京博物館に行ったわけです。
 次は本物見に行こう、ということで、今度はお城に行こうということになりました。

 とはいえ、私のようなマニアックな趣味ではないので、最初はやっぱり天守閣があるところにしよう、と。となると関東ではまともな天守閣があるのが小田原城か大多喜城ぐらい。でも近くて行きやすい小田原城は大規模改修中で天守閣には入れません。大多喜城は行ったことあるし、船で行くと結構大変。

 大規模寒波の予報が出て、高速が空いているのでは? ということで思い切って静岡県の掛川城に行くことにしました。我が家は東名に入りやすいし、昨夏の社会科見学ツアーで雨で掛川城見学が中止になったので、ちょうどいいかなって。

 というわけで片道約200キロ、掛川にでかけました。
 新東名経由で2時間余り、掛川城の大手門前の駐車場にクルマを停めて、いよいよおねえちゃん初のお城探訪です。

 掛川城が史上に登場するのは15世紀、守護大名今川義忠(義元の祖父)が老臣朝比奈泰煕に築かせたといいます。掛川は遠江国東部、周辺は牧之原台地が広がっていて、駿河と遠江を分断しています。
 駿遠を東西に結ぶには、台地全体を南に迂回して海岸線を御前崎経由で抜けるか、台地の中でも比較的低い土地を縫って、菊川から山越えで掛川に至るルートになります。
 御前崎ルートはかなり遠回りになるので、掛川は東海道の最短ルートを占める枢要の地ということになります。
 浜松や磐田といった天竜川による沖積平野から東進してくると、掛川は袋小路のようになっています。背後には牧之原の複雑な地形があり、金谷・島田を経て駿河の平野部に入ります。で食い止めなければ、金谷・島田を経て 

 まず復元された大手門。
20160123 掛川・由比 1
 復元されたものです。背後に逆川が流れていて、前述のとおり惣堀となっています。門をくぐると番所があります。全国でも珍しい現存の番所で幕末の建築です。

 大手門から逆川を渡ると、おそらく二之門があったはず。門そのものは移築されて袋井市の油山寺にありますが、これがこの位置でいいのかな?

 現在、城址の入口は南側にあります。本丸と三ノ丸の間から南に出て、そこから逆川を渡ると掛川駅に向かった大通りができています。町の目抜き通りになっていますが、実際の掛川城は東側に向けて縄張りされています。
 大手から渡って少し北に入り、現在の市役所の南側で東に折れると、三ノ丸の入り口。現在三ノ丸は広場になっています。

 私は逆川を渡ってから川沿いに西に向かい、城址入口に向かいました。
 掛川駅からまっすぐ北上するとこの入口に至り、復元された四足門や現存する二ノ丸御殿に行けますから、公園としては合理的です。しかし、城址なんですから本来の城の構造を考えた復元ということも少し考えて欲しいですね。曲輪ごとの関連性が見えないのは城址としては致命的なんですよ。

 「現在の」正面入口から登ると、すぐに復元された門があります。
20160123 掛川・由比 2
 この四足門は三ノ丸から二ノ丸の一隅を経て本丸にアクセスする位置にあります。二ノ丸と三ノ丸が低い位置で並び、本丸が高くなっているのが掛川城の特徴です。

 四足門をくぐると二ノ丸から伸びる削平地があり、さらに登ると、本丸に入ります。
 本丸の入り口は石垣はあるものの城門は復元されていません。ただ向かって左側に三ノ丸から移築された太鼓櫓があります。
20160123 掛川・由比 3
 太鼓櫓は移築ではありますが、建物自体は近世のものです。掛川城は櫓がこれしかないので、貴重ですね。城の南側から遠望した時に、天守閣の手前にこの櫓が見えて、なかなか重々しい感じになっています。

 本丸に入ると、いよいよ天守閣がよく見えます。
20160123 掛川・由比 4
 見ての通り、本丸から見ても天守はかなり高い位置にあり、実質的にこの本丸が二ノ丸のような位置づけになるのでしょう。
 また、土の斜面が目立ちます。近世の城ですが、本来丘陵を生かした城郭ですから、天守曲輪も石垣で組んでいません。要所にしか石垣は使っていないようです。さすがに天守台は石垣です。

20160123 掛川・由比 5
 天守へは斜面の縁の屈曲した坂道を登ります。二ノ丸側は土塀で防御したでしょうから、それは復元されています。

20160123 掛川・由比 6
 登りきると天守曲輪です。門は発掘では痕跡がなかったそうですが、図面などにはあるようです。
 天守閣の原型は近世初期の城主、山内一豊が整備したものです。一豊は掛川城主として関ヶ原の戦いを迎えました。家康が石田三成の挙兵を知って西上を決断したいわゆる小山評定で、一豊は真っ先に掛川城の提供を申し出、従軍諸大名が家康に同心する決断を促しました。家康は戦後、これを高く評価して一豊を土佐一国の太守に抜擢することになります。

 天守は3層の層塔型。一豊が土佐に移ったのち、地震で倒壊し、再建されたものの安政地震で再び倒壊しました。現天守は1994年、市民らの寄付などで、戦後初の木造で復元されたもので、一豊が築いた高知城を参考にしています。
 形式としては非常に単純ですが、花頭窓や破風などで美しく見せています。
 また、木造によりできるだけ忠実に再現しているので、階段などもちゃんと急で、娘は驚いていました。

20160123 掛川・由比 7
 天守から東側、二ノ丸・三ノ丸を望みます。二ノ丸には幕末期の遺構ですが、珍しく御殿が現存しています。

20160123 掛川・由比 9
 その二ノ丸御殿です。ここが実質的な政庁に当たります。城というと天守閣のイメージが強いのですが、近世は天守閣は象徴的な建物で、実際に城主がそこで政務をとることは、まずありませんでした。
 となれば、近世城郭を見る上で、この御殿も非常に重要です。これが現存しているのは、実に貴重な資料ということになります。
 それだけに修復工事中だったのは残念でした。
 ついでにいえば、流石にとても寒かった。板張りの廊下を歩いていると、足が冷える冷える。暖房も大したことがない江戸時代に、ここで仕事をするのは大変だったことでしょう。
 暖房が効いた家でぬくぬくしている娘も、昔の生活の大変さがよく理解できたようです。

 掛川城は城の構造がわかりやすく、初心者のお城見物には非常に適しています。初のお城見物になった娘にピッタリでした。
 次は松本城あたりかな~。あとは地元で茅ヶ崎城や小机城なんかもいかないとね。


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膝を大怪我しました。 

 日曜日、サッカーをやっていたのです。試合中、全力ダッシュの時、ガクッと右膝の力が抜けたような感触がありまして、あ、やっちった~、と感じました。
 ただ痛みはなかったので、大したことないかな? とも思いましたが、なんだか膝がグラグラするし、右足だけなぜか内股になってくるし、靭帯かな、と。

 で、翌日整形外科へ。レントゲンでは異常が見えないのですが、靭帯は映りませんからね。
 ただ、お医者さんの診察では膝のぐらつきを色々見て、後十字靭帯に異常あり、ということでした。MRIを別のクリニックで撮影して、今日再び病院へ。
 そこで出た所見は、

◯半月板損傷(ドン!)
◯内側・外側の側副靭帯損傷(ドドン!)

◯後十字靭帯断裂(ドドド~ン!)


 膝を安定させる靭帯が前十字を除き軒並みやられてるという惨状でした。これで痛くもなく歩けるのが不思議ですな。
 特に後十字靭帯はヒザ下が後ろにずれるのを抑える靭帯で、前十字より強いはずなのにブッチン。ひえ~。
 半月板や前十字靭帯損傷はサッカー選手でよく聞きますが、後十字靭帯断裂は珍しいのですよ。元日本代表、名古屋新監督の小倉隆史がやったケガです。かれは将来を嘱望されていましたが、この怪我のあとは振るわず、若くして現役を引退しました。その頃は再建手術も難しかったらしいのですが…。

 まだ大きな病院に行っていないので今後どうするかわからないのですが、筋力強化で補うことは可能でも、高齢になってからが心配。手術すると大変でしょうが、ある程度は復活するでしょうし、別にプロスポーツ選手ではありませんから、日常的な運動が可能であればソッチのほうがいいかな、なんて考えています。
 リハビリもしんどいでしょうけど…。でも老後に歩けなくなって家族に迷惑かけるよりは、今のほうがいいかな。

 歩くならなんとかなります。というか、あまり困りません。サポーターをしてれば、さらに安心。痛みがないのが不思議です。ただ現状はランニングもできませんし、立ち居振る舞いも多少難渋しています。
 さらに言えば、サッカーができないのは結構ショックです。この歳になってもまだプレーできる環境はあるので、楽しんでいたのですが、強制的に現役引退ですからね。

 趣味の街歩きやお城探訪もできないというのは更に辛い。今はそれなりに冷静ですが、けっこうお先真っ暗ですね。
 まぁ、世の中にはもっと不自由をしている人がいらっしゃいますから、この程度でグダグダ行ってるのも申し訳ない、と思うことにして、きちんと運動できるように頑張っていきたいとは思っています。

 しかし、仕事が立て込んでいて、手術なんていつできるんだろう…と思ってしまう社畜根性が我ながらムカつきますな(笑)

娘と江戸東京博物館行ってきました 

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 先週、横浜市歴史博物館に行ったとき、娘が興味ありげだったので、「鉄は熱いうちに打て」ということで今日は江戸東京博物館に行きました。ここは復元模型などが多くて、子供が実感するにはいい博物館です。
 ホントは今日からダ・ビンチ展が始まっているので、私はそちらに行きたいのですが…。

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 日本橋界隈の模型とか、すごく面白いですよね。ひとつひとつの人形が、ただ置いてあるだけじゃなくて、それぞれにストーリーがある。最近どぉ?とか聞いてみたくなる表情してる。

 実物大も豊富。
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 こちらは屋台のお寿司屋サン。好きなマグロにすぐ反応。

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 こちらは両国橋の際。賑わっています。手前は飲み屋ですが、よく見ると…(右下)。

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 何してんねん!

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 外国人向けの体験教室ということで、紙切りをやっていました。舞妓さんです。これを下書き無しで切っちゃうんだから凄い。書くことすらできませんよ。

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 ということで体験。日本人でもいいそうです。お手本の絵を見ながらなんとかやってみます。出来は・・・?
 あ、左側においてあるのは私の作品です。悪くないでしょ?

 結局楽しくて気づいたら遅くなってしまいました。残念ながらダ・ビンチ展はまたの機会に。上野でボッティチェッリ展も始まっているので、両方行かなきゃ!


使える端末は結局はどれでしょう? 

 気がつけば、私の手元にも各種端末がそろっていました。
 デスクトップPC、ノートPC、タブレットPC、7インチタブレット、読書端末、スマホと使いましたが、結局何がいいのかな? なんて考えてみました。正直どれも欲しいけど、こういう情報ツールを使う時間も限られているから、生活の中でどうしても淘汰されていくわけですよね。
 余暇の時間や仕事・趣味でのニーズによっても随分違うんでしょうが、私の場合、どうなんでしょうか。

 私は仕事が営業などのように外廻りをするわけではないのですが、家に持ち帰って書類を作ったりすることが多いです。PCで使うことが多いのはワード・エクセル・パワポというレベルで、正直あまり高スペックは必要ないのです。
 プライベートでは、ネットはよく見ますが、あくまで情報収集。ネトゲはしませんし、動画の配信もほとんど見てません。
 家では有線でネットにつないでいて、無料Wi-Fiもあります。ポケワイもあるので、外でも使えますが、移動中に使うことはありません(ほとんどバイクですから)。なので、外ではスマホだけ通信に使っています。タブレット系はすべてWi-Fiのみで、LTEに対応したものは使っていません。

 はじめはデスクトップPCとスマホでした。正直、これで仕事に支障はありません。ですが、写真などをプレゼンなどで見せたりするのに、タブレットがあると便利なので、安いもの、と考えてキンドルを購入。アマゾン端末なのでちょっと特殊ですが、HDMI端子があるのが良かったのです。簡単なアプリや読書・映像ツールとしても使えます。
 ただ、キンドルは情報管理端末としてはイマイチなので、MSオフィスは使い物になりません。このブログの更新にも使えるかと思ったのですが、キーボードに慣れた私には入力しにくく、結局jはPCでの入力になりました。

 ノートPCもありますが、バッテリーが弱かったせいもあってあくまでサブPC。外に持ち出すこともありませんでした。ノートPCはよほど軽くて持ち歩きしやすくないと、結局はサブPCになってしまうんですな。

 キンドルタブレットは漫画を読むにはいいんですが、文章を読むには液晶だと目が疲れます。ただ、電子書籍というのは結構便利で、漫画のようにどうしても嵩張るものは保存しやすいのです。そこで、読書用端末としてキンドルのペーパーホワイトを購入しました。
 液晶とは違うので目に負担がなく、本を持ち歩くよりずっと便利。本は本でやっぱり必要だし、本でしか買えないものも多いのですが、新書や推理小説などは電子書籍のほうがいいですね。購入したものはクラウドでタブレットでもペーパーホワイトでも読めますので複数持っていても便利です。
 こうなると、大きい画面で読みたい漫画はタブレット、文字を読むにはペーパーホワイトというすみ分けができてきました。

 こうした中で、MSのサーフェスPro3を購入。こいつが凄かった。

 タブレットだけど、キーボードがあるからほぼノートPCとして使える。PCとしてのスペックも高いし、タッチパネルとペンで操作しやすい、ということでMSオフィスもこちらで十分です。
 ほんとに軽くて持ち運びしやすいので、とたんにデスクトップPCの出番が減りました。マザーPCにはなっていますが、ストレージに近くなっています。

 プレゼンもしやすいので、キンドルのタブレットも使用頻度が減りました。すっかり電子書籍検索用&漫画を読むだけ。
 読書端末は、用途を限定してスペシャル化している分、まだまだ必要性が高いです。モデルチェンジもしていますが、そもそもスペックはあまり関係ないので、買い替えの必要もありません。

 というわけで、現在はメインはサーフェス、読書にペーパーホワイト、漫画にキンドル。ノートPCは冬眠中、デスクトップは時々、という感じです。
 なんだかサーフェスのステマみたいだけど、私のように動画や外廻りがない人間はこれで十分まかなえてしまいますね。
 これからの課題は家庭用のマザーPC。デスクトップは動かせないので、嫁さんが使いづらい。となればノートがいいかな。もう少しで娘も使い出すだろうし。
  

CBくん、ウィンクできなくなる 

 つまんないことですが、CBくんのウィンカーが帰宅途中に切れました。ポジションランプも兼ねているから、間抜けですので、すぐにドリーム店に問い合わせて急いで交換。
 CBくんは3年弱3万キロ走行です。やっぱりポジションランプ兼用だとずっと点灯しているわけで、長持ちしないんですね。クルマのウィンカーは7年乗って交換してませんから(大きい分、フィラメントの耐用年数も長いのか?)。

 交換1000円ですから、LEDに交換というレベルでもないので、気にしてませんが、左も寿命が近いんだろうな~。

20160112


2016 横浜FC展望 

 2016シーズンの横浜FC新体制発表が行なわれました。追加の補強を考えているようですが、現時点での戦力を確認したいと思います。
 昨オフは、ルーキー以外は在籍経験のある選手を呼び戻しただけで、ホントの意味での新加入は上田だけという異常な編成でした。開幕前なのにどんよりしてしまったのですが、今オフは千葉のような派手なものではありませんが、実績のある選手の補強があり、少しは明るい気分でのぞめそうです。
 順番は背番号順、( )は年齢、青字は新加入です。

GK
渋谷飛翔(20)・南雄太(36)・高丘陽平(19)
 昨シーズンから村井が抜けただけ。南のレギュラーは揺るがないところでしょう。渋谷が伸び悩んでいるのか、昨シーズンは南がフル出場でした。中堅がいないだけに、そろそろ若い2人のどちらかが出てこないと…。

CB
野上結貴(24)・デニス(29)西河翔吾(32)・楠元秀真(23)
 昨季最大の弱点だったCBは、テホン・森本が抜けました。実績のある西河に、新外国人デニスの加入には、野上もうかうかできません。実際にはデニス次第ですね。トゥイード軍曹のようになってくれるといいのですが。
 若い楠元もふくめてかなりバランスの良い構成になりました。フィットしてくれれば一転してストロングポイントになるかもしれません。MF登録の藤井もCBができますので、緊急時もなんとかなるかな。楠元はもっと伸びてくれ。

SB
田所諒(29)・市村篤司(31)・永田拓也(25)
 中島が退団、時折SBを務めた小池が移籍しました。左は、岡山で存在感を示していた田所が加入。運動量も多い選手で、十分に中島の穴は埋まりそう。逆に永田はまだ信用がないってことかな。
 右は今のところ市村一択。昨季バックアップがおらず苦しかったのですが…。石井か藤井がここに入るかもしれません。

DMF
中里崇宏(25)・佐藤謙介(26)・寺田紳一(30)・安英学(37)・大崎玲央(24)・石井圭太(20)・藤井悠太(24)グエン(20)
 急に人材豊富になってきた。No6になった中里に期待がかかってるのかな。個人的には今年も謙介推しです。昨季主にボランチに入ったのが、寺田・中里・佐藤。3人とも守備よりも攻撃的な選手で、中盤でブロックが効きにくい難点がありました。やはり1人は守備的な選手のほうがいいと思うんですよね。実際、終盤にヨンハが復帰してからはかなり起用されましたし。ただそのヨンハも衰えはありますから、未知数の大崎に期待。デカイしね。
 寺田と佐藤は前でもいけるので、後ろを固めて前で勝負させるかもしれません。
 藤井は移籍発表ではDFで紹介されましたが、背番号の発表ではMF。どこが一番いいんだろう。器用貧乏で終わらぬように…。
 話題の「ヴェトナムのピルロ」グエンは小柄ですし、守備面はやや不安かな。どういう起用になるのか、話題だけで終わらぬように。
 石井くんは勝負の年、そろそろ本職のボランチで出場して欲しいけど、まだ厳しいか?

OMF
内田智也(32)・野崎陽介(30)・野村直輝(24)・小野瀬康介(22)・ロク(28)・ナソンス(22)・松下年宏(32)・上田 悠起(19)・前嶋洋太(18)
 小池の移籍が痛いアタッカー陣。急遽野崎を契約更新しました。前嶋以外新加入なしですから、伸び代に欠けますね。
 前で起用される可能性のある寺田・佐藤も含めて、足元で勝負する選手が多く、縦に速い選手が少ないのが難点。松下が軸にはなるでしょうが、それを揺るがす若手が出てこないと、昨季のような得点力不足になりますよ。内田は以前のようにボランチで起用しないのかな。
 FWが少ないので、昨季のようにこのメンツからトップ下や1.5列目としてFW起用されることもありそうです。
 難しいのはロク・シュトラウスの起用法ですね。終盤にやっとフィットしそうな感じがしましたので、最初からチームに参加する今年は化けるか?
 昨シーズン、ルス監督が序盤重用していたのが小野瀬ですが、結果を出したとは言いがたい。野村とともに、一皮むけるのか?
 最後まで契約更新情報が出なかったナ・ソンスですが、まだ戦力として考えてるのかな? 「永遠の秘密兵器」では困るのだが。

FW
津田知宏(29)・三浦知良(48)・齋藤 功佑(18)・大久保哲哉(35)
 記者会見で中田さんが「空いてる番号があります」といって補強を示唆した時、誰もがもう一枚FWを! と思ったことでしょう。相変わらず手薄です。会場でデニスがサプライズ紹介された時、FWちゃうんか!とツッコミたかった人も多いでしょうし。
 ただ津田は期待。徳島でも存在感あったし、パワフルなプレーは楽しみ。
 このメンバーだと、津田を中心にワントップでいくか、津田・大久保の2トップか、ということになるでしょう。そこにカズを混ぜていく感じで。齋藤くんはまだどうともわかりませんからね。昨季全試合出場の大久保は津田の加入で負担が減って、逆にチャンスが増えるかもしれませんね。
 ただ、このメンツだと流れを一気に変えるタイプがいない。FWに限った話ではないが、これでは長いシーズンを乗りきれないと思う。

 こうやって見ると、若い選手が急増したな、と思う。ただ、渋谷・高丘・石井・上田・ソンスと芽が出たとは言いがたい。いつまでも「期待の若手」を待っていられないのです。ウチで期待通り育ったといえるのは野上くらい。謙介・中里・小野瀬・野村はまだまだ。移籍してきた中堅選手が活躍するばかりでは寂しい。今年も齋藤・前嶋と2人上がってきて、ユース組は5人となりました。彼らがチームの根幹になる日が早く来ますように。


2016 横浜FC新体制発表記者会見 

 今年も横浜FCの新体制発表の日がやって来ました。このオフは新選手加入や契約更新をサボってアップしていませんが、昨シーズンオフと違って課題に明確に向かい合う補強が行なわれたように思います。

 で、今日はその新体制発表が横浜FCのLEOCトレーニングセンターで行なわれました。去年はいかなかったので、今年は嫁さんと一番下のチビを連れて行きました。上2人はおじいちゃんちにお泊りで、妖怪ウォッチの映画を見に行っています(笑)

20160111 1

 まずスタッフですが、ルス監督再任。昨季8連敗を立て直せず、中田さんに交代となりましたが、再登板は驚きました。采配など若干心配ではありますが、今年は早い決定でチームづくりの段階からしっかり関わってくれているのではないかと期待。
 中田さんとのコンビで今季は頼みます!

 増田・早川・田北さんは変わらず、あらたに重田さんがアカデミー兼任ながらアシスタントコーチに。OBコーチ3人です。

 新加入は、DF西河・DF田所・DFデニス・FW津田・MF大崎・DF藤井・FW齋藤・MF前嶋・MFグエンの9人。
20160111 2
(グエンはU23代表の試合で欠席)

 新加入選手入場の時に会場を沸かせたのが、サプライズ発表となったDFデニス・ハリロビッチ。188センチと長身のスロヴェニア人です。楽しみです。
 背番号は、

1 渋谷飛翔
2 野上結貴
3 田所諒
4 デニス・ハリロビッチ
5 西河翔吾
6 中里崇宏
7 内田智也
8 佐藤謙介
9 津田知宏
10 寺田紳一
11 三浦知良
12 サポーター
13 野崎陽介
14
15 市村篤司
16 野村直輝
17 安英学
18 南雄太
19 小野瀬康介
20 ロク・シュトラウス
21 大崎玲央
22 永田拓也
23 ナ・ソンス
24 松下年宏
25 石井圭太
26 高丘陽平
27 楠元秀真
28 藤井悠太
29 上田悠起
30 齋藤功佑
31 前嶋洋太
32 グエン・トゥアン・アイン
39 大久保哲哉

 です。3・4・5・6でどよめきが。そして9で期待の拍手!
 その津田は今年の目標を聞かれて、2桁と言ってました(まぁ99点まで2桁ですがwww)。拍手があったけど、それじゃ足りない! ジャンボと2人で30以上はいってくれないと昇格はないよな~

 そしてあえて空欄で載せました、NO.14。中田さんは空いてる番号があります、まだ補強は終わっていない、と言っていました。リップ・サービス出ないことを期待。やっぱりFWが層が薄いですから。


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CB1100オイル交換 車検も間近 

20160110 3

 遅まきながらオイル交換してきました。現在、29580キロ走行です。銘柄はG3、今回はフィルタなしで。メンテパック加入済だから7000円ほどです。
 さて、まもなく納車3年です。早いもんですな~。というわけで、2月に初の車検を迎えることになりました。1週間かかるので、通勤用の代車が必要になりますから、早めに予約しました。
 今日の見立てでは、フロントブレーキパッドは要交換。タイヤは前後ともそろそろ考えましょう。できればチェーンも、とのこと。タイヤはもう少し我慢かな~。もしかしたら前後どちらか。

 ついでにカスタムの注文をしてきました。何をするかはお楽しみで。

 ところで、待ち時間の間に試乗車で置いてあったCTX1300に乗らせてもらいました。
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 ホンダは世界でも珍しいV4エンジンをラインナップしているメーカーです。VTR800や1200、そしてこのCTXです。CTXはパンヨーロピアン系の縦置きV4。縦置きにあわせて駆動もシャフトです。
 私はV 型も縦置きもシャフトドライブもアメリカンスタイルのポジションもすべてが初めてなので、ちょっと緊張しました。

 エンジンは馬力だけなら84psとCB1100より低いのですが、+120cc、思い切り低速に振ったセッティングで、低速トルクが圧倒的。車重はCB+100キロですから、めちゃくちゃ重いのですが、それでもトルクの厚みはすごいですね。
 かといって空ぶかししても左に傾くトルクリアクションは少ししかなく、シャフトドライブの癖も普通に走る分にはまったくありませんでした。非常にジェントルなエンジンですね。

 ボディは実に重厚です。デカイエンジンと大柄のボディを支えるんですからね。フロントは130サイズの18インチタイヤ(種類が少なそう)で倒立フォークにコンバインドABS。リアタイヤなんて17インチながら200サイズですよ!真ん中しか削れないんだろうな…。

 足を前に投げ出すポジションは慣れてないせいで、すぐにステップを探しだせませんでした(笑)
 慣れると快適ですが、シートの一番いい場所に座るとハンドルもステップもやや遠いのが気になりました。まぁ、私の手足が短いせいですが。
 でも実際には大柄の外国人に合わせた設定なんでしょうね。
 でもまたがるところは絞っているので、足つきは大丈夫です。両足だと少し踵が浮くくらい。重いボディでも不安になることはありませんでした。

 どうせならこんなバイクこそDCTつけてATにすればいいのに。あとクルーズコントロールも。でも、ほとんどクルマですな。



横浜市歴史博物館 

 お姉ちゃんの冬休みの宿題が一つ残ってました。せっかくなので博物館で調べ学習でもさせようと思って横浜市歴史博物館にでかけました。
 本格的な博物館はお姉ちゃんは初めてなので、簡単に解説をしながら見て回りました。まだ歴史についての知識が皆無に等しい小学校3年生に説明するのは難しいですね。
 それでも興味を持ってみていたので、よしとするか~
 
 ちょっと面白かったのが、昭和前期頃までの生活道具や家電などを紹介するコーナー。私も実際には使っていなかったものがたくさんで楽しい。実際に触れるのが良かったですね。
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 この写真の奥、球状のものは手動洗濯機です。ぬるま湯と洗剤を入れて回転させるのね。すすぎ・脱水ができないけど、簡単なものなら今でも使えそう。

 そんなこんなでなんとか宿題のネタはできたのですが、ミュージアムショップに行ってみたら懐かしい物を発見!

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 吉川弘文館の日本史地図ですよ~! これと同じタイプの年表の両方共、小学生の頃からお世話になりました。薄手ですが情報が多く、勉強になりました。初版は昭和31年なんですね。平成25年に新修版として販売されています。
 いつしかなくしてしまった(悔しい)ので、買ってしまいました。

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 戦国大名のページとか、穴が空くほど見てましたよ・・・
 今あらためて見ると、当然ながら他のページも楽しくてしょうがない。



 ただ、老眼が出てきたので見るのが辛い…(T_T)

八王子城跡探訪記 

 正月というのに穏やかで暖かい日が続いています。こんな天気ならバイク乗るの苦じゃないからいいですね。
 というわけで向かったのは八王子城跡です。関東屈指の山城で、近世期は廃城になっていましたから保存状態がいい、お城ファンにも人気の城です。発掘調査も行なわれており、往時の様子がよく分かります。
 八王子という地名のもとでもありますが、そうはいっても場所が八王子というより高尾です。
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 交通不便ということで、簡単に行けないのでつい保留していたお城でした。やっと行ける!
 ちなみに山城探訪は冬が一番です(雪さえなければ、ですが)。熱中症の心配もないし、虫がいないし、草は枯れて足元が見やすいし、落葉していますから見晴らしもいい。
 特にこの日は暖かで風もありませんでしたから、最高のコンディションでした。

 お城に登る前に、まずガイダンス施設へ。コンパクトですが綺麗な施設で、山城見学の拠点には絶好です。正月と言ってもちゃんと開いていましたので、見学してパンフレットや地図などを頂き、ついでにトイレも済ませて出発です。
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 まずは城主に敬意を表すべく、北条氏照墓所へ向かいます。城に向かう道沿いの集落は、八王子城の経済を支えた「根小屋」という地区です。その根小屋に面した丘の上に、氏照の供養塔があります。氏照は秀吉の小田原攻めの時は小田原城に詰めており、落城後は兄の氏政とともに切腹、小田原城下に葬られました。ここは家臣中山勘解由の子孫、信治が建てた供養塔で、家臣の墓などもあります。
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 北条氏照は、氏康の次男です。文武に秀で、武蔵攻略の陣頭指揮を取りました。はじめ大石氏に養子に入り、大石源三を名乗ります。武蔵滝山城を拠点に、越後上杉氏や陸奥の諸大名などとの取次として北条氏の東方戦略の中心を担いました。
 武田信玄に三増峠の戦いで大敗するなど失策も見られますが、拡大した北条氏の領域をよくまとめました。
 この供養塔を建てた中山信治は、留守の氏照に代わって八王子城を守った重臣の中山勘解由家範の孫です。勘解由は剛勇で知られ、前田利家・上杉景勝による城攻めに対して奮戦し討ち死に。その武勇を喧伝され、子の信吉は家康に召し抱えられ、後に水戸藩の家老となりました。

 氏照が八王子城に移ったのは天正15年(1587)で、3年後の秀吉の来攻時は未完成だったといいます。近世期でありながら、中世的な山城であることは、この城が本来防衛を主題に築かれたものであることを感じさせます。
 中世山城の完成形とも言える構造ですが、近世的な築城技術も応用しており、非常に興味深いですね。


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平成28年 初詣 

 今年の初詣は加賀一の宮、白山比咩神社です。いつもは雪がふるので歩くのが大変ですが、今日はなんと10℃ほどもあって、暖かい初詣になりました。
 スキー場もオープンしていないし、天気はいいしで、相変わらず拍子抜けのお正月です。
 駐車場が広くないので、神社までは暫く渋滞。200台ほど行列を作っていました。

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 言うまでもなく、白山比咩神社は全国2000社に及ぶ白山神社の総本社です。

 白山比咩神社といえば、白山さんを深く信仰した戦国時代の剣豪、草深甚四郎を思い出します。来歴不明ながら、剣聖塚原卜伝と互角に勝負したという伝承があります。加賀の前田家には「深甚流」という流派が伝承しています。今度は甚四郎の墓でも詣でますかね。

 子どもたちが元気に育ちますように、そして東日本大震災の被災地の復興が1日でも早く進みますように…

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 何だ、この顔www




平成28年元日 明けましておめでとうございます 

 平成28年、2016年になりました。
 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 さて、昨日もアップしたとおり、石川県白山市に帰省しています。寒さも厳しくなく、穏やかに晴れた元日になりました。
 初詣はどこ行こう?ということで、前から行ってみたかった蓮如上人の墓にでも詣でることにしました。

 蓮如(1415~1499)は親鸞直系の本願寺8世、衰退していた本願寺を再興し、現在の真宗の繁栄の基を築きました。北陸教化を目的に越前吉崎に下向して布教に努めますが、その折に加賀にも真宗の影響が及び、後に加賀の一向一揆が起こる素地となりました。
 その蓮如は文明3年(1471)12月上旬から翌年の2月2日まで加賀善性寺に逗留したといいます。現在の金沢市四十万町にある善性寺は応永35年(1427)に開創とされますが、始め天台寺院だったものがこの当時の住持法慶坊により真宗となったようです。
 
 こちらがその善性寺。
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 立派な方丈で、軒深く屋根の勾配高く、組手もきれいです。近世末期の建物と想像しますが、案内など何もなかったのでわかりません。裏側は新建材などで改築されており、残念です。この境内に蓮如の尊像がありました。

 さて肝心の墓所ですが、この寺域にはなく道を挟んで東側にある山にあります。配水場があってその裏のスペースに車をとめ、山道を登ることになります。
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 こちらが山道の入り口です。

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 まぁ、山城に登るのに比べれば大したことないのですが、今回は家族全員www まぁ上2人はいいんですが、1歳半ってのがおりまして。しょうがないんで抱っこで登ることになりました。10キロあるんだけど…。

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 地元の方が整備しているようで、登りやすいのですが、昨日の雨と落ち葉で滑りやすくなっているのが辛かった。いや、重ねて言いますが10キロ抱えてなければ大したことないですよ。チビめ、ヘラヘラしてやがんの!(当たり前か)

 15分ほど登ると、ようやく目的地の蓮如上人墓所にたどり着きます。
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 今登ってきた西北斜面に向かって墓域が取られ、雄大な景色を眺められる場所に墓石が置かれています。言い伝えでは、蓮如はこの景観を愛し、霊寶山と名づけて「われ死なば、この山頂に葬れ」と言い残したそうです。真骨一葉をここに納むといいます。
 写真右には、おそらく随従してここに登ったと思われる善性寺の法慶坊の墓所もあります。死してなお扈従することに、法慶坊の霊も喜んでいることでしょう。

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 こちらが上人の墓所です。加賀一円を望みます。

 蓮如は優れた宗教者でありました。彼の残した様々な消息(手紙)は「御文章」と言われ、教義をわかりやすく述べたものとして口承され、今も真宗では法事などで僧侶によって声明にのぼります。
 私の母方の家は真宗ですが、祖父が亡くなった時、「御文章」の中でも有名な「白骨の御文」を直接聞くことができました。
「朝ニハ紅顔アリテ夕ニハ白骨トナレル身ナリ 」という一節は、戦乱の時代を生きた蓮如の無常観を痛烈に表しています。

 同時に、蓮如は組織づくりに優れた差異を持っていました。村々に末寺を置き、それぞれの横の連帯を「講」として育て、それを掌握することで教勢を一気に高めました。
 加賀一向一揆が守護の富樫氏を逐い、100年にわたって加賀を支配したのも、背景に蓮如が築いた組織がありました。
 信長は本願寺と長く戦い、なかなか慴伏させられませんでしたし、家康も三河一向一揆に苦しみました。
 家康はそれを思って、本願寺を東西に分裂させ、勢力を弱めました。それが現在の西本願寺・東本願寺です。末寺はそれぞれ11000、9000ほどで、単独では12000寺を数える曹洞宗にかないませんが、合わせればダントツの数なのです。その基礎を築いたのが蓮如というわけです。
 一般にはさほど名が知られている人物ではありませんが、史上の偉人であることは疑いようもないでしょう。

 さて、墓所の背後には見晴らし台が設えられています。
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 冬は木々の葉が落ちているうえに、天気が良かったので見晴らし最高!

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 目の前が野々市、その向こうは松任市街で、ずっと奥には日本海が広がっています。蓮如がここに眠りたいと言った理由がよく分かります。

 歴史マニアやってると、普通の人からすればなんでそんなとこ行くの?というとこによく行きます。蓮如の墓所などに積極的に行きたいと思う人はなかなかいないと思います。私はそういうところも労を惜しまず足を運びます。そうして歴史と向き合うことに無上の喜びを感じるのですが、そのご褒美とでも言えるでしょうか、こんな素晴らしい景色などに出会えることが良くあります。
 前に紹介した平林城などもそうですが、やっぱり行ってよかったな~と、思うことがほとんどです。
 マニアがやめられないわけです。チビどもも蓮如など知らないのですが、この景色は目に焼き付いたことでしょう。


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japantourist

Author:japantourist
3児の父、リターンライダー。歴史マニアにして、レガシィB4を乗り回し、天文書を片手に星空を眺める。
横浜FCを追いかけ、サッカーボールを蹴っ飛ばす。
ホントは何が好きなんでしょうか・・・

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