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洞ヶ峠の筒井順慶 

筒井順慶 肖像
(筒井順慶肖像)

 織田信長麾下の武将に筒井順慶という人物がいます。本能寺の変ののち、明智光秀につくか羽柴秀吉につくか、洞ヶ峠で日和見をしたということで名前が知られています。尤も、その日和見が事実ではないということも必ず付記されます。
 名が知られる一方で、どんな人物だったかを知っている人は殆どいないという人物でもあります。名前が登場するのは本能寺の変直後の一時期に過ぎません。一般の歴史好きからすれば、順慶という名から法体であろうと想像できるぐらいです。

 祖父の順興はもともと興福寺の僧兵を預かっていました。なかなかの出来物で、応仁の乱などで興福寺が衰えると戦国大名化しました。興福寺の衆徒ということで、代々法名を名乗っています。
 父順昭もよく戦い、大和一国をほぼ領国化。諸豪が居並ぶ難しい土地柄の中ですから並の器量ではありません。しかし38歳で病に倒れ、死没。嫡男である順慶は僅か2歳であり、諸豪の目を欺くために盲目の僧木阿弥というものを身代わりにしたといいます。その後順慶が当主になって木阿弥は放たれ、「元の木阿弥」になったという逸話が知られます。順昭はこのエピソードで意外と名が知られています。

 木阿弥はともかく、所領を受け継いだ順慶は若年で大和の最有力勢力の領袖となりました。信長家臣としての順慶ではなく、戦国大名としての順慶はいかなる人物だったのでしょうか。


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japantourist

Author:japantourist
3児の父、リターンライダー。歴史マニアにして、レガシィB4を乗り回し、天文書を片手に星空を眺める。
横浜FCを追いかけ、サッカーボールを蹴っ飛ばす。
ホントは何が好きなんでしょうか・・・