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現地ルポ 被災地の今 宮古市田老編 

 東北ツアーについては一度簡単にまとめていますが(こちら)、あらためてじっくりと書いてみたいと思います。今回はその1回目、田老編です。

 8月1日、盛岡を出発した私が最初に向かったのが、宮古市の田老地区です。
 平成の大合併のさなか、2005年に宮古市と合併して宮古市の一部となりました。合併時の町の人口は5000人ほど。可住地面積は小さく、田老湾に面する沿岸部と、田老川流域に平野があるぐらいです。
 小さい町なのですが、実は全国的に有名な町でもあります。それは、何度も津波で壊滅的な被害を受け、その対策として巨大な防潮堤を建設したからです。

 田老地区を地図で見てみると、北側にわずかに岬が張りだしてはいるものの、湾がぽっかりと太平洋に向けて口をあけています。


 三陸海岸は、いわゆるリアス海岸として知られますが、宮古から北は陸地の隆起によってうまれる海岸段丘といわれる地形で、南側のリアス海岸と違って入り組んだ入江があまり見られません。
 ですから、太平洋側から津波が押し寄せてきた場合、それを防ぐような地形はなく、しかも土地の隆起によって海は深いですから、津波のエネルギーが非常に強くなるのです。

 歴史的には、17世紀初頭の慶長三陸地震(1611)でほぼ全滅という記録があります。明治29年(1896)の明治三陸津波では村の全戸が流され1800人以上が亡くなり、昭和8年(1933)の昭和三陸津波でも1000人近い犠牲者を出しています。
 とにかくこれだけ凄惨な歴史がありますから、早くから危機意識があり、それが巨大防潮堤の建設につながっていくのです。

 防潮堤の最終的な完成は昭和41年(1966)。総工費50億円以上という大事業でした。完成した防潮堤は、総延長が2433mに及び、海面から10mもの高さにそびえ立っています。
 巨大なX字を描く姿は、頼もしくもあり、仰々しくもあり、田老を特徴付ける存在となったわけです。ものすごく圧迫感もあったようですが。
東北の今 田老1

 近くに立ってみるとけっこうな迫力です。家のすぐ近くにあったら、けっこう嫌かもしれませんね。

 町を上空から見ると、こんな感じでした(拾った画像ですいません)。
東北の今 田老2

 この防潮堤が功を奏したのが、昭和35年(1960)のチリ地震の時です。チリ沖で発生した最大規模M9.5の地震による津波は、太平洋を横断して22時間後に日本に襲来、三陸海岸を中心に142名もの死者を出しました。しかし、田老だけはこの防潮堤のお陰で軽微な被害にとどまり、長年の苦しみをようやく乗り越えられたのです。
 以来津波対策の決定打として有名になり、海外から視察団が来るほどになりました。
 私にとって印象的なのは、中学校時代の教科書だったか地図帳だったかにこれが載っていたことです。あまりのデカさに唖然として、よく覚えています。

 東日本大震災で、東北の太平洋側が津波に襲われたことを知った時、最初に頭をよぎったのが田老の防潮堤でした。そして田老の町が無残な姿になったことを知って、ようやくこの津波が尋常ならざるものであることを実感したのです。

 では続きは「続きを読む」で…



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この記事へのコメント

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
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chinafree
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japantourist

Author:japantourist
3児の父、リターンライダー。歴史マニアにして、レガシィB4を乗り回し、天文書を片手に星空を眺める。
横浜FCを追いかけ、サッカーボールを蹴っ飛ばす。
ホントは何が好きなんでしょうか・・・