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「蜻蛉切」を見に行きました 

 久々の歴史ネタです。いや、結構ネタはあるんですが、アップをサボっているので…(汗)

 昨日、静岡県三島にある「佐野美術館」におじゃましました。お目当ては「蜻蛉切」です。
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 これは、藤原正真作の槍で、御手杵・日本号とともに天下三名槍の一つとされます。家康家臣の猛将本多忠勝の愛用として有名です。
 これだけ名が知られた名槍ですが、現在は個人所有で、岡崎城にあるレプリカだけが常時見学できますが、11年ぶりに本物が一般公開されるとのことで、一気にテンション上昇、職場の同好の士とともに駆けつけました。

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 こちらが佐野美術館。三嶋神社に程近い、住宅街の中にあります。近代的ですが瀟洒な建物で、なかなか。
 住宅街にある小ぶりの美術館にしては駐車場が多く、助かりました。

 「蜻蛉切」を含む今回の展示は矢部コレクションというもの。実業家の故矢部利雄氏のコレクションです。
 蜻蛉切の展示はYahoo!のトップニュースに挙がるほどで、そこばかり注目されましたが、根来塗や尾形乾山など、他の品々も見応え充分。眼福でございました。

 特に根来塗は、根来が滅びてしまっているので希少なものです。それが数多くあって、素晴らしい! しっかりした黒漆塗りに上に、さっと朱漆をかけています。使い込むうちに表面の朱漆が摩耗し、下地の黒漆が見えてくるのが非常に味わい深く、なんとも言えません。大名家などの高級な蒔絵の品もいいですが、民俗学でいうところの「用の美」というものでしょうか、こういう使い込んだ品もいいものです。

 また、刀もいいものが多かったです。一文字や備前景則、長船長光など、蜻蛉切にかぎらず、名刀の数々があり、惹きこまれました。
 景則は伊達政宗の佩刀だったというもので、三種の拵えもまた見事でした。

 肝心の「蜻蛉切」ですが、ガッツリ見るために行列ができるほど。私は行列の後ろからの俗にとどめましたが、いやはや、すごい人気です。
 ちなみにこの美術館、おそらく普段はこれほどの人ではないものと思われます。展示室は2Fだけ、入口の受付はミュージアムショップの会計と共通で、一人しかいませんし。はっきり言ってしまえば、キャパオーバーなんですが、蜻蛉切にはそれほどの魅力があったということですね。
 あ、誤解ないようにいいますが、美術館はすごく綺麗で見やすいし、設備は整っています。ショップもいいものがたくさんありますし、小型の地方美術館としてはこれ以上ないほど。常設展も良い物いがたくさんありますから、また来てみたいです。

 さて、その蜻蛉切ですが、細身の刀身に梵字と三鈷剣が彫られています。猛将忠勝の手によって、多くの血を吸ってきたはずですが、それを感じさせない繊細で美しいデザインです。忠勝が持っていた姿を見てみたいものですね。

 展示を堪能したあとはミュージアムショップで日本等に関する書籍と絵葉書を購入し、美術館をあとにしました。図録がなかったのが残念です。

 その後は近所の三嶋大社に参詣。
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 言わずと知れた伊豆の一宮です。門前町も栄えていて、楽しそうな町ですが、今回は参詣だけ。
 頼朝の崇敬篤く、箱根路の隆盛とともに大いに信仰を集めていました。この日も参詣客が多く、愛されている様子が伺えて楽しくなります。
 参拝の後、「福太郎」という幟がたくさん出ていたので、お店に入ってみました。福太郎は草餅をこしあんでくるんだもので、名物のようです。お茶とセットでいただけるということで、早速注文。
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 我々がラストだったみたいで、駆け込みセーフ、ラッキーでした。美味しかったですよ!

 夕暮れまでまだ時間があったので、三島から東海道を下り、箱根に登る中腹にある山中城跡に行きました。
 山中城は後北条氏が築いたもので、豊臣秀吉による小田原攻めの際の前線基地として期待されました。

 東海道を取り込んだ山城で、石垣は使っていませんが地形をうまく活かした構造や、畝堀・障子堀など、中世的山城の完成形として、非常によく出来たものです。
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 こちらは畝堀。傾斜もしっかり付けられた空堀の底を畝を築くことで分断、攻め手の展開を防ぐ構造になっています。

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 こちらは障子堀。同じように、堀に入った攻め手の展開を制限します。なお、構造を保護するために、芝生が貼ってあります。これは堀だけでなく、曲輪すべてがそうで、非常に歩きやすいし、構造も見やすく、山城の整備としてはなかなかいいものですね。

 さて、これだけ素晴らしい構造の山中城ですが、豊臣秀次率いる豊臣方の猛攻の前にわずか一日で陥落、関東全体を支城群で結んだ北条氏の防衛構想はあっという間に覆ってしまいました。
 山中城はあくまで箱根防衛戦の前線基地ですから、小田原陥落後は無用になり、廃城。おかげで当時の構造がよく残ったわけですね。

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 駿河湾を望む岱崎砦からの夕日です。終始雲が多かった一日でしたが、最後はこの景色でしたので、満足満足!
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japantourist

Author:japantourist
3児の父、リターンライダー。歴史マニアにして、レガシィB4を乗り回し、天文書を片手に星空を眺める。
横浜FCを追いかけ、サッカーボールを蹴っ飛ばす。
ホントは何が好きなんでしょうか・・・

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