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2015春 南三陸ツアー② 

 2日目、いい天気ですが、非常に寒い朝でした。一週間前の天気予報では雨マークがついていたのですが、少しずれてよかったです。

 11時からの「感謝の集い」までに間があるので、娘を連れて町内を回りました。

 志津川漁港周辺は港湾整備が急ピッチで進められています。2012年に初めて来たときは津波でも何とか残った建物を利用してカキの養殖の仕込みを行いましたが、翌年には撤去されていました。現在は市場を含めて大がかりに整備が進んでいます。一昨年ボランティアでカキの処理を行った施設も(当然ながら)健在で、懐かしい限りです。
 また、河口に当たるこの地域には防潮堤も建設中。さすがに10mなどという高さはないですが、この周辺ではおおむね8,7mのものを計画しているようです。
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 こちらは旧志津川駅。何度もこのブログで紹介していますが、こちらはノータッチ。3年前と何ら変わっていません。周辺はかさ上げを含めた造成事業が盛んですが、エアポケットのように静けさを保っています。
 ホームに立った娘は、今いる場所がどんな場所だったか、想像できていないようでした。
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 最後に志津川中学校にお邪魔しました。ご迷惑とは思いましたが、高台にある中学校の校門の近くからは志津川の街が一望できるのです。
 鳥瞰してみると、造成の進み具合がよくわかります。「復興の槌音」というにはまだまだですが、着実に進んでいるのはわかります。
 以前に書きましたが、これだけ思い切った造成をすると、復興が成っても以前の町並みは帰ってきません。それは、町の方々にしてみればとても寂しいことだと思います。「故郷」は永遠に失われてしまいました。今作っている町が、新たな「故郷」にふさわしいものになるように願うばかりです。
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 ベイサイドアリーナに戻ると、まだ1時間前だというのに、すでに「感謝の集い」に集結した多くの人でごった返していました。いつもの駐車場も満車で、少し離れたところに車を停め、会場に入ります。
 会場は体育館のアリーナいっぱいにパイプいすが並べられ、つどいの盛況を感じさせます。
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 11時、いよいよ開会です。

プログラム
 ○オープニング  大森創作太鼓「旭ケ浦」
 ○開会あいさつ  南三陸町社会福祉協議会長 阿部東夫さん
 ○ボランティアセンターの軌跡  同協議会事務局長 猪又隆弘さん
 ○感謝の辞  南三陸町長 佐藤仁さん
 ○ボランティア体験発表
 ○アトラクション  よさこい 南三陸今村組 陸仙海
           感謝の歌 「花は咲く」
 ○閉会あいさつ  南三陸町議会議長  星喜美男さん


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 よくあるといえばよくある、この手のイベントのアトラクションやスピーチ。普段であれば退屈極まりないようなものですが、今日だけは違います。アトラクションは気合が違いますから、目を離せません。お偉方のスピーチも睡眠タイムになるものですが、深い悲しみを乗り越えようとしている方々だからこそ聞ける言葉ばかりで、涙なしには聞けませんよ。佐藤町長に至っては、のっけから目を赤くしての登場でした。
 もちろん、町民の皆さんによる「花は咲く」は心の奥深いところに響きました。きれいごとではなく、この人たちの笑顔のためにできることをしたい、そう決意を新たにした瞬間でした。

 一時間半の会はあっという間に終わりました。隣の小ホールでは震災直後の街の様子や、その後のボランティアの活動などの写真を集めて展示していました。2012年に漁業支援に参加した日の写真があって、残念ながら私は写っていませんでしたが、懐かしい顔が見られて、幸せでした。
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 (その時の様子はこちら

 記念写真コーナーでは、たまたま佐藤町長がいらっしゃっていて、ぜひとお願いして一緒に写真を撮っていただきました。
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 町長は、地震の後、避難などの指揮を執るべく、町の防災拠点である防災庁舎に乗り込んでいました。しかし、想像以上の津波に襲われ、屋上に避難したものの津波にのまれてしまいました。
 幸運にも柵に掴まることができ、九死に一生を得たのです。濡れたまま屋上で一夜を明かし、翌日、徒歩でベイサイドアリーナにたどり着いたといいます。
 以来、先頭に立って復興に尽力されてきました。

南三陸町長の3年―あの日から立ち止まることなく (河北選書)南三陸町長の3年―あの日から立ち止まることなく (河北選書)
(2014/03)
佐藤仁、石田治 他

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 こちらの本も読んでいたので、町長にお会いできてとても嬉しかったです。ありきたりですが、「頑張ってください、また来ます」という言葉を精いっぱいの誠意をこめて届けました。

 外に出ると、地元の方々によるお食事のサービスが軒を連ねていました。おにぎりやカキ鍋、ちゃんこ鍋、カマスのつみれ汁、茎わかめなど心のこもったおもてなしです。カキ鍋なんて、カキが5個も入っていて、野菜・豆腐もたっぷりで贅沢そのもの!
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 この日のために準備してくださった町民の皆さんには頭が下がるばかりです。涙なしには食べられませんでした。
 ほかにも様々なお土産物や地元の食べ物がありました。娘はまたいくら丼を満足そうに頬張っていましたし(だって、500円じゃ考えられないような量のイクラが乗ってるんですもん)、私はお土産をつい買いすぎてしまいました。

 来るたびにいつも感じることですが、私は被災地の方々を応援するつもりで来ています。小さくても力になれるように。

 でも、いつも地元の方々の笑顔とおもてなしに、たくさん接することができます。

 その笑顔の力はすごいもので、むしろこちらが頑張らなきゃ、と応援される一方です。被災者の方々からすれば元気の赤字ではなかろうかと。

 今日の集いだってそうです。ボランティアへの感謝、ということですが、私個人の感覚では、被災地の力になれる機会をいただいたことと、地元の人たちやほかのボランティアの方々にいただいた力に感謝するために、そしてこんな会に参加させていただけること、素晴らしいおもてなしをいただくことへの感謝のために参加しました。
 感謝してもらうためではありません。

 南三陸のみなさん、ありがとうございました。また帰ってきます。

 お世話になったこのボラセンも今月いっぱいで終わりです。次は災害復興ボランティアセンターという名前から「災害」を取った名前で活動が続きます。この光景に名残は尽きませんが、これも復興への一歩です。
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 仙台への帰途、また大川小学校に寄りました。3月11日の直後とあって、多くの方が訪れていました。
 小学生になったわが娘。同じ小学生がここで多く亡くなったことを知って、その悲しみを感じてほしかったのです。
 冷たい風が吹きすさぶなか、深く祈りをささげて、この旅を終わりました。2015 03-15 14

 女川は時間がなくて割愛しました。でも、娘は珍しい父親の私との2人旅、楽しんでくれたようです。素直に被災地を見て、話を聞いて、様々なことを感じてくれました。疲れたでしょうが文句も言わず、帰宅してからは自分が塗ったオクトパス君や頂いた木製グッズを嬉しそうに披露していました。そして「花は咲く」をずっと口ずさんでいます。
 早くボランティアにも連れていきたいものです。



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japantourist

Author:japantourist
3児の父、リターンライダー。歴史マニアにして、レガシィB4を乗り回し、天文書を片手に星空を眺める。
横浜FCを追いかけ、サッカーボールを蹴っ飛ばす。
ホントは何が好きなんでしょうか・・・

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