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東北お城巡り ~南三陸の帰り道~ 

 こちらでは、南三陸からの帰り道で「攻略」してきたお城を紹介していきます。

 ボランティア終了翌日、8時前に宿を出て西へ向かいます。朝の気温は18℃。バイクの夏装備では寒くて、レインウェアを重ね着してしのぎます。
 398号線で登米を経て大崎市の岩出山へ。大崎市は宮城県北部に位置します。
 米どころ宮城といえば、南部の平野地帯が思い浮かびますが、大崎周辺は広大な沖積平野であり、水利にも恵まれて昔から豊かな生産を誇っていました。沿道の地形は変化に富んでいますが、それでも水田が多いこと! 津波の被害を受けていないので、現在では宮城県のコメ生産を支えているのではないでしょうか。

 この地域は中世、斯波一族の大崎氏が治めていました。豊かな土地を背景に奥州探題として勢威をふるいましたが、戦国期に衰退し、米沢に蟠踞する伊達氏に隷属するようになります。
 伊達政宗の外様の家臣になっていましたが、豊臣秀吉の小田原征伐に参陣しなかったとして、大崎氏は改易となりました。秀吉はこの地に側近の木村吉清を送り込みますが、大崎市の旧臣による大規模な一揆によりこれまた改易。大崎領は米沢から転封となった伊達政宗に与えられました。

 政宗は、それまで出羽南部(置賜)、福島北部(中通り)を領していましたが、秀吉の奥州仕置の中で父祖伝来の地を逐われ、大崎領とさらに登米から三陸にかけての葛西領、宮城郡・名取郡などに減転封となります。
 この地にやってきた政宗が居城としたのが、現在の大崎市にあった岩出山城です。この地の検地を担当していた徳川家康が縄張りなどの整備をしたと言われます。
 若き政宗はここで12年間を過ごし、「大崎少将」と称されていました。

 岩出山の町に入ると、城下町らしい静けさです。細い道を通りぬけて岩出山高校・小学校を目指します。そこから細く急な山道を登ると、城山公園になります。SLが置いてある広場があって、ここにバイクを止めました。この広場も曲輪だったのでしょうが、斜面はかなり急峻で、麓に細い川も流れているので、その分防備も少なくなっています。

 そこから坂を登って行くと、いきなり主郭になります。
2015 宮城・福島の城 1
 かなり広めの削平地で、実際にここに住んでいたことを伺わせます。

 主郭は南北に長く、北の高所には物見台と紹介されている場所がありますが、ここは立入禁止でした。
 南に歩いて行くと、狭くくびれた虎口があり、土塁の跡も見られます。その先は出丸になっています。

 この出丸には「平和像」と呼ばれる政宗の立像があります。もともと仙台の青葉城にあったものでした。現在の青葉城には有名な甲冑姿の騎馬像がありますが、こちらは平服なので平和像と呼ばれるようです。高所にあって独眼を見開き、四海を睥睨する姿は、むしろ英雄的だと思うのですが。
2015 宮城・福島の城 2

 出丸から降りていくと、やはり虎口らしい構造があり、曲輪が続いています。一つ一つの曲輪の規模が大きく、山城とはいえ大大名の居城らしいです。
2015 宮城・福島の城 4

 斜面はしっかり切り立っていますね。おそらく切岸ではないかと思います。
2015 宮城・福島の城 3
2015 宮城・福島の城 8

 北の二ノ丸からの峰続きの部分は、深い堀切で仕切られています。
2015 宮城・福島の城 5

 全体としてはかなり大掛かりな城で、かなりの土木量が投入されたと思われますが、虎口などの現存具合が良くないこともあり、あまり技巧的には感じられません。その意味ではあくまで仮の居城という感じもします。
 もっとも、政宗が仙台に去ると、ここには政宗の四男宗泰が置かれ、岩出山伊達家が興されます。知行14000石余。岩出山城は「要害」とされ、居城となって維新を迎えました。
 なお、この岩出山伊達家の子孫は合併する前の岩出山町長を務めています。

 さて、岩出山城ですが、もう一度本丸の写真を。
2015 宮城・福島の城 6
 本丸に売店というのも…(しかも開いているのかどうか)。この城は「公園」なのですが、城址公園というより、本当に公園なんです。曲輪だった平地には遊具が置かれてるし、通路や柵もじゃんじゃん作られていますが、遺構の保存という面で見るとかなり怪しいです。曲輪の上下を繋ぐ坂道も、城の構造ではないようなルートを通しているところもあるし、肝心の空堀が見にくかったり、城址としての整備はほとんど考えられていないように思います。

 城というのは、人の動きをどう制限するか、というテーマで築かれるものです。である以上、それを見学するときは「どう不便に作っているか」ということがポイントになるはずです。通路が真っ直ぐ進めないように屈曲していたり、坂を急にしてみたり、狭くしてみたり。これは、観光地としても公園としても相容れない要素なわけです。
 ところが岩出山城は、明らかに「不便さ」を排除しようとしているように思います。そこに干渉しない部分だけは残されていても、現在の動線は動きやすいように改変されているようです。これは城址の整備としてはどうなのか。
 公園ならどこでも作れますが、城址はそこにしかないのです。であれば城の遺構を大事にしてほしいと思うのですが、いかがでしょうか。
 政宗の場合、仙台青葉城も本丸にお土産屋が、非常に俗な空間になっています。居城があまり大事にされていないので、なんだかかわいそうです。

 私自身も子供の頃からの政宗ファンとして、岩出山城には思い入れがあるのですが、なんとも残念です。


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japantourist

Author:japantourist
3児の父、リターンライダー。歴史マニアにして、レガシィB4を乗り回し、天文書を片手に星空を眺める。
横浜FCを追いかけ、サッカーボールを蹴っ飛ばす。
ホントは何が好きなんでしょうか・・・

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