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常総ツーリング 晩秋 

 昨日は珍しく平日に休みだったので、CBくんでツーリングにでかけました。
 いつもなら山に行くのですが、もう寒いので冬装備を着込んで平地ツーリングです。のんびり走れるところ、と思って霞ヶ浦を目指すことにしました。

 どうせなら、と色々寄り道を考えてしまうのが私の悪いところ。とりあえず霞ヶ浦のちょっと手前、牛久の大仏でも拝むtころから、と牛久を目指すことにしました。
 それほど急ぎませんし、高速に乗ってしまうと面白く無いので、しばらく下道で行くことに。

 青葉区から国道246号で東京へ向かいます。平日の朝にガッツリ都内を走るなんて初めてですが、やっぱり混んでますね。玉川通りに入ると、バイクでもかなり苦しくなります。
 それでも渋谷を抜けると、数多い信号に悩まされつつもスムーズに流れるようになります。
 三宅坂から桜田門、日比谷を経て銀座へ。そういや、銀座をバイクで走るなんて初めてですね。

 日本橋からは浅草へ。地下鉄での移動ばかりなので、意外と位置関係や距離感がわかっていません。バイクで走ると新鮮です。
 浅草からスカイツリーを眺めつつ6号線へ。四つ木、亀有と進んで気が済んだので、外環道へ出て常磐道に乗ります。ちょっともったいないですかね。

 牛久あたりではまだ天気が悪く、雲が垂れ込めて霞がかかったような状態でした。それでも近づくと、
常総ツーリング 1
 おぉ、見える見える! デカイですね~。正直、油断してたらギョッとしそうですが。

常総ツーリング 2
 足元まで来ると、ホントに大きいです。青銅製としては世界一の高さで体だけで120mだとか。胎内に入って眺望を楽しむこともできますが、天気悪いので割愛。大きさを堪能したので十分です。

 次は霞ヶ浦のほとり、土浦へ。ここではお城を攻略します。常総ツーリング 3
 土浦城です。もとは戦国期に小田氏が築いたもののようですが、現在の城郭は近世に入封して土浦藩を立藩した藤井松平氏の松平信一が整備したものです。土浦藩は変遷を経て土屋氏が入り、維新を迎えました。
 この土屋氏は戦国期に武田氏の家臣だった家で、信玄の遺臣を重用した家康によって召しだされました。初代土屋忠直は、天目山で武田勝頼に殉じ、「片手千人斬り」と称される活躍をしたといわれます。

常総ツーリング 4
常総ツーリング 5
 城跡は二ノ丸と本丸を公園として整備しています。ここだけ見るとさしたる工夫もない(馬出しなどには武田流が見られるようです)城で、本丸は低い掻き揚げの土塁ですし、広さもそれほどでもありません。東西の隅櫓は復元されたものです。

常総ツーリング 6
 本丸入り口の櫓門は近世以来の遺構です。さて、霞ヶ浦の周辺は低湿地となっていて、水害が多い地域でした。逆に言えば水が豊富にあり、土浦城も水を活かして何重にも水濠を巡らせていて、本丸単体の防御力は低くとも、水をいかした構造的な強さがあったのではないかと考えられます。
 しかし、三ノ丸などの外郭は市街地化していて、往時を偲ぶことはできません。もしこれが残っていれば、相当に雄大な景色だったのではないでしょうか。土浦の市街地は相当不便になったことでしょうが。

 日本の城郭遺構は殆どが中心地だけの保存で、惣構え全体が見られる城はほとんどありません。それではその城の防御思想が見えてこないのですが、しょうがないことですかね。それが最も見られるのは首都東京の江戸城だというのも皮肉な話です。


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japantourist

Author:japantourist
3児の父、リターンライダー。歴史マニアにして、レガシィB4を乗り回し、天文書を片手に星空を眺める。
横浜FCを追いかけ、サッカーボールを蹴っ飛ばす。
ホントは何が好きなんでしょうか・・・

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