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平成28年元日 明けましておめでとうございます 

 平成28年、2016年になりました。
 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 さて、昨日もアップしたとおり、石川県白山市に帰省しています。寒さも厳しくなく、穏やかに晴れた元日になりました。
 初詣はどこ行こう?ということで、前から行ってみたかった蓮如上人の墓にでも詣でることにしました。

 蓮如(1415~1499)は親鸞直系の本願寺8世、衰退していた本願寺を再興し、現在の真宗の繁栄の基を築きました。北陸教化を目的に越前吉崎に下向して布教に努めますが、その折に加賀にも真宗の影響が及び、後に加賀の一向一揆が起こる素地となりました。
 その蓮如は文明3年(1471)12月上旬から翌年の2月2日まで加賀善性寺に逗留したといいます。現在の金沢市四十万町にある善性寺は応永35年(1427)に開創とされますが、始め天台寺院だったものがこの当時の住持法慶坊により真宗となったようです。
 
 こちらがその善性寺。
2106元日 蓮如上人参り 1
 立派な方丈で、軒深く屋根の勾配高く、組手もきれいです。近世末期の建物と想像しますが、案内など何もなかったのでわかりません。裏側は新建材などで改築されており、残念です。この境内に蓮如の尊像がありました。

 さて肝心の墓所ですが、この寺域にはなく道を挟んで東側にある山にあります。配水場があってその裏のスペースに車をとめ、山道を登ることになります。
2106元日 蓮如上人参り 3
 こちらが山道の入り口です。

2106元日 蓮如上人参り 4
 まぁ、山城に登るのに比べれば大したことないのですが、今回は家族全員www まぁ上2人はいいんですが、1歳半ってのがおりまして。しょうがないんで抱っこで登ることになりました。10キロあるんだけど…。

2106元日 蓮如上人参り 5
 地元の方が整備しているようで、登りやすいのですが、昨日の雨と落ち葉で滑りやすくなっているのが辛かった。いや、重ねて言いますが10キロ抱えてなければ大したことないですよ。チビめ、ヘラヘラしてやがんの!(当たり前か)

 15分ほど登ると、ようやく目的地の蓮如上人墓所にたどり着きます。
2106元日 蓮如上人参り 9
 今登ってきた西北斜面に向かって墓域が取られ、雄大な景色を眺められる場所に墓石が置かれています。言い伝えでは、蓮如はこの景観を愛し、霊寶山と名づけて「われ死なば、この山頂に葬れ」と言い残したそうです。真骨一葉をここに納むといいます。
 写真右には、おそらく随従してここに登ったと思われる善性寺の法慶坊の墓所もあります。死してなお扈従することに、法慶坊の霊も喜んでいることでしょう。

2106元日 蓮如上人参り 6
 こちらが上人の墓所です。加賀一円を望みます。

 蓮如は優れた宗教者でありました。彼の残した様々な消息(手紙)は「御文章」と言われ、教義をわかりやすく述べたものとして口承され、今も真宗では法事などで僧侶によって声明にのぼります。
 私の母方の家は真宗ですが、祖父が亡くなった時、「御文章」の中でも有名な「白骨の御文」を直接聞くことができました。
「朝ニハ紅顔アリテ夕ニハ白骨トナレル身ナリ 」という一節は、戦乱の時代を生きた蓮如の無常観を痛烈に表しています。

 同時に、蓮如は組織づくりに優れた差異を持っていました。村々に末寺を置き、それぞれの横の連帯を「講」として育て、それを掌握することで教勢を一気に高めました。
 加賀一向一揆が守護の富樫氏を逐い、100年にわたって加賀を支配したのも、背景に蓮如が築いた組織がありました。
 信長は本願寺と長く戦い、なかなか慴伏させられませんでしたし、家康も三河一向一揆に苦しみました。
 家康はそれを思って、本願寺を東西に分裂させ、勢力を弱めました。それが現在の西本願寺・東本願寺です。末寺はそれぞれ11000、9000ほどで、単独では12000寺を数える曹洞宗にかないませんが、合わせればダントツの数なのです。その基礎を築いたのが蓮如というわけです。
 一般にはさほど名が知られている人物ではありませんが、史上の偉人であることは疑いようもないでしょう。

 さて、墓所の背後には見晴らし台が設えられています。
2106元日 蓮如上人参り 7
 冬は木々の葉が落ちているうえに、天気が良かったので見晴らし最高!

2106元日 蓮如上人参り 8
 目の前が野々市、その向こうは松任市街で、ずっと奥には日本海が広がっています。蓮如がここに眠りたいと言った理由がよく分かります。

 歴史マニアやってると、普通の人からすればなんでそんなとこ行くの?というとこによく行きます。蓮如の墓所などに積極的に行きたいと思う人はなかなかいないと思います。私はそういうところも労を惜しまず足を運びます。そうして歴史と向き合うことに無上の喜びを感じるのですが、そのご褒美とでも言えるでしょうか、こんな素晴らしい景色などに出会えることが良くあります。
 前に紹介した平林城などもそうですが、やっぱり行ってよかったな~と、思うことがほとんどです。
 マニアがやめられないわけです。チビどもも蓮如など知らないのですが、この景色は目に焼き付いたことでしょう。
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japantourist

Author:japantourist
3児の父、リターンライダー。歴史マニアにして、レガシィB4を乗り回し、天文書を片手に星空を眺める。
横浜FCを追いかけ、サッカーボールを蹴っ飛ばす。
ホントは何が好きなんでしょうか・・・

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