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八王子城跡探訪記 

 正月というのに穏やかで暖かい日が続いています。こんな天気ならバイク乗るの苦じゃないからいいですね。
 というわけで向かったのは八王子城跡です。関東屈指の山城で、近世期は廃城になっていましたから保存状態がいい、お城ファンにも人気の城です。発掘調査も行なわれており、往時の様子がよく分かります。
 八王子という地名のもとでもありますが、そうはいっても場所が八王子というより高尾です。
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 交通不便ということで、簡単に行けないのでつい保留していたお城でした。やっと行ける!
 ちなみに山城探訪は冬が一番です(雪さえなければ、ですが)。熱中症の心配もないし、虫がいないし、草は枯れて足元が見やすいし、落葉していますから見晴らしもいい。
 特にこの日は暖かで風もありませんでしたから、最高のコンディションでした。

 お城に登る前に、まずガイダンス施設へ。コンパクトですが綺麗な施設で、山城見学の拠点には絶好です。正月と言ってもちゃんと開いていましたので、見学してパンフレットや地図などを頂き、ついでにトイレも済ませて出発です。
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 まずは城主に敬意を表すべく、北条氏照墓所へ向かいます。城に向かう道沿いの集落は、八王子城の経済を支えた「根小屋」という地区です。その根小屋に面した丘の上に、氏照の供養塔があります。氏照は秀吉の小田原攻めの時は小田原城に詰めており、落城後は兄の氏政とともに切腹、小田原城下に葬られました。ここは家臣中山勘解由の子孫、信治が建てた供養塔で、家臣の墓などもあります。
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 北条氏照は、氏康の次男です。文武に秀で、武蔵攻略の陣頭指揮を取りました。はじめ大石氏に養子に入り、大石源三を名乗ります。武蔵滝山城を拠点に、越後上杉氏や陸奥の諸大名などとの取次として北条氏の東方戦略の中心を担いました。
 武田信玄に三増峠の戦いで大敗するなど失策も見られますが、拡大した北条氏の領域をよくまとめました。
 この供養塔を建てた中山信治は、留守の氏照に代わって八王子城を守った重臣の中山勘解由家範の孫です。勘解由は剛勇で知られ、前田利家・上杉景勝による城攻めに対して奮戦し討ち死に。その武勇を喧伝され、子の信吉は家康に召し抱えられ、後に水戸藩の家老となりました。

 氏照が八王子城に移ったのは天正15年(1587)で、3年後の秀吉の来攻時は未完成だったといいます。近世期でありながら、中世的な山城であることは、この城が本来防衛を主題に築かれたものであることを感じさせます。
 中世山城の完成形とも言える構造ですが、近世的な築城技術も応用しており、非常に興味深いですね。


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japantourist

Author:japantourist
3児の父、リターンライダー。歴史マニアにして、レガシィB4を乗り回し、天文書を片手に星空を眺める。
横浜FCを追いかけ、サッカーボールを蹴っ飛ばす。
ホントは何が好きなんでしょうか・・・

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