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掛川城・由比ツアー 

 先々週に娘を横浜市歴史博物館に連れて行きました。昔の道具調べ、ということで行ったのですが、博物館が思った以上に楽しかったようなので、先週は江戸東京博物館に行ったわけです。
 次は本物見に行こう、ということで、今度はお城に行こうということになりました。

 とはいえ、私のようなマニアックな趣味ではないので、最初はやっぱり天守閣があるところにしよう、と。となると関東ではまともな天守閣があるのが小田原城か大多喜城ぐらい。でも近くて行きやすい小田原城は大規模改修中で天守閣には入れません。大多喜城は行ったことあるし、船で行くと結構大変。

 大規模寒波の予報が出て、高速が空いているのでは? ということで思い切って静岡県の掛川城に行くことにしました。我が家は東名に入りやすいし、昨夏の社会科見学ツアーで雨で掛川城見学が中止になったので、ちょうどいいかなって。

 というわけで片道約200キロ、掛川にでかけました。
 新東名経由で2時間余り、掛川城の大手門前の駐車場にクルマを停めて、いよいよおねえちゃん初のお城探訪です。

 掛川城が史上に登場するのは15世紀、守護大名今川義忠(義元の祖父)が老臣朝比奈泰煕に築かせたといいます。掛川は遠江国東部、周辺は牧之原台地が広がっていて、駿河と遠江を分断しています。
 駿遠を東西に結ぶには、台地全体を南に迂回して海岸線を御前崎経由で抜けるか、台地の中でも比較的低い土地を縫って、菊川から山越えで掛川に至るルートになります。
 御前崎ルートはかなり遠回りになるので、掛川は東海道の最短ルートを占める枢要の地ということになります。
 浜松や磐田といった天竜川による沖積平野から東進してくると、掛川は袋小路のようになっています。背後には牧之原の複雑な地形があり、金谷・島田を経て駿河の平野部に入ります。で食い止めなければ、金谷・島田を経て 

 まず復元された大手門。
20160123 掛川・由比 1
 復元されたものです。背後に逆川が流れていて、前述のとおり惣堀となっています。門をくぐると番所があります。全国でも珍しい現存の番所で幕末の建築です。

 大手門から逆川を渡ると、おそらく二之門があったはず。門そのものは移築されて袋井市の油山寺にありますが、これがこの位置でいいのかな?

 現在、城址の入口は南側にあります。本丸と三ノ丸の間から南に出て、そこから逆川を渡ると掛川駅に向かった大通りができています。町の目抜き通りになっていますが、実際の掛川城は東側に向けて縄張りされています。
 大手から渡って少し北に入り、現在の市役所の南側で東に折れると、三ノ丸の入り口。現在三ノ丸は広場になっています。

 私は逆川を渡ってから川沿いに西に向かい、城址入口に向かいました。
 掛川駅からまっすぐ北上するとこの入口に至り、復元された四足門や現存する二ノ丸御殿に行けますから、公園としては合理的です。しかし、城址なんですから本来の城の構造を考えた復元ということも少し考えて欲しいですね。曲輪ごとの関連性が見えないのは城址としては致命的なんですよ。

 「現在の」正面入口から登ると、すぐに復元された門があります。
20160123 掛川・由比 2
 この四足門は三ノ丸から二ノ丸の一隅を経て本丸にアクセスする位置にあります。二ノ丸と三ノ丸が低い位置で並び、本丸が高くなっているのが掛川城の特徴です。

 四足門をくぐると二ノ丸から伸びる削平地があり、さらに登ると、本丸に入ります。
 本丸の入り口は石垣はあるものの城門は復元されていません。ただ向かって左側に三ノ丸から移築された太鼓櫓があります。
20160123 掛川・由比 3
 太鼓櫓は移築ではありますが、建物自体は近世のものです。掛川城は櫓がこれしかないので、貴重ですね。城の南側から遠望した時に、天守閣の手前にこの櫓が見えて、なかなか重々しい感じになっています。

 本丸に入ると、いよいよ天守閣がよく見えます。
20160123 掛川・由比 4
 見ての通り、本丸から見ても天守はかなり高い位置にあり、実質的にこの本丸が二ノ丸のような位置づけになるのでしょう。
 また、土の斜面が目立ちます。近世の城ですが、本来丘陵を生かした城郭ですから、天守曲輪も石垣で組んでいません。要所にしか石垣は使っていないようです。さすがに天守台は石垣です。

20160123 掛川・由比 5
 天守へは斜面の縁の屈曲した坂道を登ります。二ノ丸側は土塀で防御したでしょうから、それは復元されています。

20160123 掛川・由比 6
 登りきると天守曲輪です。門は発掘では痕跡がなかったそうですが、図面などにはあるようです。
 天守閣の原型は近世初期の城主、山内一豊が整備したものです。一豊は掛川城主として関ヶ原の戦いを迎えました。家康が石田三成の挙兵を知って西上を決断したいわゆる小山評定で、一豊は真っ先に掛川城の提供を申し出、従軍諸大名が家康に同心する決断を促しました。家康は戦後、これを高く評価して一豊を土佐一国の太守に抜擢することになります。

 天守は3層の層塔型。一豊が土佐に移ったのち、地震で倒壊し、再建されたものの安政地震で再び倒壊しました。現天守は1994年、市民らの寄付などで、戦後初の木造で復元されたもので、一豊が築いた高知城を参考にしています。
 形式としては非常に単純ですが、花頭窓や破風などで美しく見せています。
 また、木造によりできるだけ忠実に再現しているので、階段などもちゃんと急で、娘は驚いていました。

20160123 掛川・由比 7
 天守から東側、二ノ丸・三ノ丸を望みます。二ノ丸には幕末期の遺構ですが、珍しく御殿が現存しています。

20160123 掛川・由比 9
 その二ノ丸御殿です。ここが実質的な政庁に当たります。城というと天守閣のイメージが強いのですが、近世は天守閣は象徴的な建物で、実際に城主がそこで政務をとることは、まずありませんでした。
 となれば、近世城郭を見る上で、この御殿も非常に重要です。これが現存しているのは、実に貴重な資料ということになります。
 それだけに修復工事中だったのは残念でした。
 ついでにいえば、流石にとても寒かった。板張りの廊下を歩いていると、足が冷える冷える。暖房も大したことがない江戸時代に、ここで仕事をするのは大変だったことでしょう。
 暖房が効いた家でぬくぬくしている娘も、昔の生活の大変さがよく理解できたようです。

 掛川城は城の構造がわかりやすく、初心者のお城見物には非常に適しています。初のお城見物になった娘にピッタリでした。
 次は松本城あたりかな~。あとは地元で茅ヶ崎城や小机城なんかもいかないとね。


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japantourist

Author:japantourist
3児の父、リターンライダー。歴史マニアにして、レガシィB4を乗り回し、天文書を片手に星空を眺める。
横浜FCを追いかけ、サッカーボールを蹴っ飛ばす。
ホントは何が好きなんでしょうか・・・

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