2016東北ツアー 被災地の今①
admin≫
2016/08/29 17:02:19
2016/08/29 17:02:19
2012年以来、東北の被災地は毎年訪れていますが、さすがに時間の問題もあって、南三陸町以外の沿岸地域は隔年でまわるようにしています。昨夏は南三陸だけでしたので、今年は岩手まで足を伸ばす年です。
南三陸でのボランティアのあと、三陸海岸北上をはじめました。
南三陸町でも私は主に志津川地区に行くことが多いです。ボランティアでは入谷地区や戸倉地区にも行きますが、その中であまりいけていない地区があります。それが志津川の北にある歌津地区です。一昨年、小野作商店さんでのボランティアぐらいかな。
歌津は元は歌津町という自治体でしたが、10年前に志津川町と合併して南三陸町になったという経緯があります。自治体が違っただけあって、入谷・戸倉と比べて若干距離があるので、たまにしか行かないんです。申し訳ないんですが…。
志津川を出発して、国道45号線を北上すると歌津です。復興工事は進んでいますが、全体としては志津川地区に比べると遅れ気味かな? 中心を通る歌津大橋が津波で失われ、その復旧工事も終わっていません。

流失した気仙沼線のあとが見えます。BRTに使う工事もしていません。目が回るように工事が進んでいる志津川地区に比べ、ややテンションが低いかな、と。

歌津駅前の伊里前福幸商店街です。時間が早いのでお店もほとんどやっていませんし、お客さんの姿はありません。2度めですが、こういう出発のタイミングで来ちゃうので、まだここで買い物してないんですよね。次こそ!

さらに北上して、気仙沼市の本吉(旧本吉町)にある陸前小泉駅付近。津谷川を越える気仙沼線の橋梁が一部残っており、その上を新しい45号線の陸橋でしょうか、建設が進んでいます。
津谷川の向こう側は田んぼが広がっていますが、かなり大規模なトマトのハウスが立ち並んでいて、津波塩害を期に脱米作にシフトしている様子も感じられます。
気仙沼市街に入ると、また雰囲気が変わります。町が大きいですし、市街がやや高い位置にも広がっていたため、津波の被害を受けていない地域もかなりあります。
気仙沼で被害が大きかったのは、湾の最奥部、鹿折唐桑駅の周辺です。鹿折唐桑駅といえば、覚えていますか?

2012年の夏の様子です。この大きな漁船が打ち上げられていたのは、鹿折唐桑駅の目の前。この写真で言うと、左手奥に駅があります。周辺は完全に津波で流されていました。
2014年には漁船は撤去され、周囲の造成整備が進んでいました。道の反対側にはセブン-イレブンができていました。
今年もそのセブン-イレブンに買い物がてらバイクをとめさせてもらって、周囲を見回してみると…

まず目に入るのは駅と港の間にできた団地です。津波の時に避難できる高さになっているのでしょう。

鹿折唐桑駅は、大船渡線BRTの駅として整備されていました。現在BRTは大船渡の盛駅まで走っています。気仙沼線のBRT駅と共通のデザインで、南三陸町で見慣れていると懐かしく感じます。
45号線は唐桑半島の付け根を抜けて広田湾を右手に走ります。広田湾の一番奥が陸前高田です。

陸前高田といえば、奇跡の一本松が知られています。私はちょっと話題になりすぎていたので、今までスルーしてきましたが、今回はじめて行ってみました。
すると、一本松以上に気になったことがたくさんありました。高田松原の内側には入り江があったのですが、その周辺は今でも津波の後が生々しいですね。一本松の向こう側に見えるのは、震災遺構として保存される陸前高田ユースホステルです。砂地の地盤が津波に襲われたために、建物の半分が破壊されてしまっています。

堤防の建設は進んでいますが、内側はまだ放置状態ですね。

こちらは建設中じゃなくて解体中。陸前高田では南側の山(写真奥)から掘り出した嵩上げ用の土砂を、大規模なベルトコンベアで市街地に運んでいました。それが通っていた吊橋ですが、ベルトコンベアとともに撤去されます。
一昨年来た時は、そのベルトコンベアのスケールに肝を潰したもんです。以下2枚が一昨年の夏です。


模型で見るとこんな感じでした。

陸前高田では震災遺構として、先ほどの一本松・ユースホステルほか、気仙中学校(以前の記事で紹介しています)、道の駅高田松原、下宿定住促進住宅を保存することになっています。

こちらが道の駅。
下宿定住促進住宅は、以前も紹介しました。5階床まで浸水したそうです。2012年に初めて見た時、ベランダの化粧板が4階までぶち抜かれてるのが衝撃的でした。

陸前高田の市街を過ぎて、45号線は大船渡へ向かうのですが、その途中、不思議な建物?が目につきます。

グーグルの衛星写真で見るとこんな感じ。

これも塩害にあった土地で、野菜の栽培を生産性を高めて一年中出荷するための施設です。「グランパファーム」という会社が設置しました。ドームの中に円状の水耕栽培施設で葉物野菜を生産します。東京などではLEDを使った野菜工場がコスト高で結局うまく行っていませんが、こちらは太陽光がドームを通して入ってくるので、その辺りが違うのかな。
この施設、設立当初にニュースになっていたのをたまたま見ました。面白いとは思いましたが、こういう特殊なものがうまくいくかどうか、やや懐疑的でもありました。それが今でも運営されているようなので、ホッとしました。被災地だからといって、実験的なことをやって、失敗したからポイ、では困りますから。
まぁ、他に増えているわけではないので、さほどメリットもないのかもしれませんが。
すぐ隣には普通のハウスが並びます。

正直、これで十分な気もしますが。
まだまだ続きます。
▼続きを読む▼
南三陸でのボランティアのあと、三陸海岸北上をはじめました。
南三陸町でも私は主に志津川地区に行くことが多いです。ボランティアでは入谷地区や戸倉地区にも行きますが、その中であまりいけていない地区があります。それが志津川の北にある歌津地区です。一昨年、小野作商店さんでのボランティアぐらいかな。
歌津は元は歌津町という自治体でしたが、10年前に志津川町と合併して南三陸町になったという経緯があります。自治体が違っただけあって、入谷・戸倉と比べて若干距離があるので、たまにしか行かないんです。申し訳ないんですが…。
志津川を出発して、国道45号線を北上すると歌津です。復興工事は進んでいますが、全体としては志津川地区に比べると遅れ気味かな? 中心を通る歌津大橋が津波で失われ、その復旧工事も終わっていません。

流失した気仙沼線のあとが見えます。BRTに使う工事もしていません。目が回るように工事が進んでいる志津川地区に比べ、ややテンションが低いかな、と。

歌津駅前の伊里前福幸商店街です。時間が早いのでお店もほとんどやっていませんし、お客さんの姿はありません。2度めですが、こういう出発のタイミングで来ちゃうので、まだここで買い物してないんですよね。次こそ!

さらに北上して、気仙沼市の本吉(旧本吉町)にある陸前小泉駅付近。津谷川を越える気仙沼線の橋梁が一部残っており、その上を新しい45号線の陸橋でしょうか、建設が進んでいます。
津谷川の向こう側は田んぼが広がっていますが、かなり大規模なトマトのハウスが立ち並んでいて、津波塩害を期に脱米作にシフトしている様子も感じられます。
気仙沼市街に入ると、また雰囲気が変わります。町が大きいですし、市街がやや高い位置にも広がっていたため、津波の被害を受けていない地域もかなりあります。
気仙沼で被害が大きかったのは、湾の最奥部、鹿折唐桑駅の周辺です。鹿折唐桑駅といえば、覚えていますか?

2012年の夏の様子です。この大きな漁船が打ち上げられていたのは、鹿折唐桑駅の目の前。この写真で言うと、左手奥に駅があります。周辺は完全に津波で流されていました。
2014年には漁船は撤去され、周囲の造成整備が進んでいました。道の反対側にはセブン-イレブンができていました。
今年もそのセブン-イレブンに買い物がてらバイクをとめさせてもらって、周囲を見回してみると…

まず目に入るのは駅と港の間にできた団地です。津波の時に避難できる高さになっているのでしょう。

鹿折唐桑駅は、大船渡線BRTの駅として整備されていました。現在BRTは大船渡の盛駅まで走っています。気仙沼線のBRT駅と共通のデザインで、南三陸町で見慣れていると懐かしく感じます。
45号線は唐桑半島の付け根を抜けて広田湾を右手に走ります。広田湾の一番奥が陸前高田です。

陸前高田といえば、奇跡の一本松が知られています。私はちょっと話題になりすぎていたので、今までスルーしてきましたが、今回はじめて行ってみました。
すると、一本松以上に気になったことがたくさんありました。高田松原の内側には入り江があったのですが、その周辺は今でも津波の後が生々しいですね。一本松の向こう側に見えるのは、震災遺構として保存される陸前高田ユースホステルです。砂地の地盤が津波に襲われたために、建物の半分が破壊されてしまっています。

堤防の建設は進んでいますが、内側はまだ放置状態ですね。

こちらは建設中じゃなくて解体中。陸前高田では南側の山(写真奥)から掘り出した嵩上げ用の土砂を、大規模なベルトコンベアで市街地に運んでいました。それが通っていた吊橋ですが、ベルトコンベアとともに撤去されます。
一昨年来た時は、そのベルトコンベアのスケールに肝を潰したもんです。以下2枚が一昨年の夏です。


模型で見るとこんな感じでした。

陸前高田では震災遺構として、先ほどの一本松・ユースホステルほか、気仙中学校(以前の記事で紹介しています)、道の駅高田松原、下宿定住促進住宅を保存することになっています。

こちらが道の駅。
下宿定住促進住宅は、以前も紹介しました。5階床まで浸水したそうです。2012年に初めて見た時、ベランダの化粧板が4階までぶち抜かれてるのが衝撃的でした。

陸前高田の市街を過ぎて、45号線は大船渡へ向かうのですが、その途中、不思議な建物?が目につきます。

グーグルの衛星写真で見るとこんな感じ。

これも塩害にあった土地で、野菜の栽培を生産性を高めて一年中出荷するための施設です。「グランパファーム」という会社が設置しました。ドームの中に円状の水耕栽培施設で葉物野菜を生産します。東京などではLEDを使った野菜工場がコスト高で結局うまく行っていませんが、こちらは太陽光がドームを通して入ってくるので、その辺りが違うのかな。
この施設、設立当初にニュースになっていたのをたまたま見ました。面白いとは思いましたが、こういう特殊なものがうまくいくかどうか、やや懐疑的でもありました。それが今でも運営されているようなので、ホッとしました。被災地だからといって、実験的なことをやって、失敗したからポイ、では困りますから。
まぁ、他に増えているわけではないので、さほどメリットもないのかもしれませんが。
すぐ隣には普通のハウスが並びます。

正直、これで十分な気もしますが。
まだまだ続きます。
▼続きを読む▼