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旅の記事一覧

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早春、京都の旅 その1 

 こないだの土日、職場の部署の旅行ということで京都に行ってきました。といっても土曜日は夕方に旅館集合ですから、気楽に一人でブラブラしてきました。
 行きの新幹線は自分で時間を決められるので、7時台の早い「のぞみ」を選択。混雑を避けてリッチにグリーン車にしました。

 最初に向かうのは等持院。「京都市内」までの切符を有効利用するために、山陰線で太秦までJRを使い、帷子ノ辻駅から京福に乗って等持院に向かいます。

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 京福、いいですな~。こんなレトロな雰囲気でも運賃精算は車内でPASMO使えるってのが便利でいいですね。

 等持院は足利尊氏の開基で(直義説あり)、尊氏の墓所となりました。また、足利将軍家代々の木造が安置されていることでも知られます。前に来たのは20年以上前で、木像見たさだったのを覚えています。
 当時は足利尊氏とか義昭とか、有名どころの木像を見て満足していましたが、今回は一人ひとりをじっくり眺めました(もっとも入京できなかった義栄などはありませんが)。足利将軍は意外に個性的な人物が多く、木像そのものもテンプレ的なものではなく、かなり個性的に作られています。その人となりを色々学んだ上で見ると、味わいも違います。2代目義詮の聞かぬ気な表情とか、好きですね。
 ちなみに、家康も混じっています。

 これらの木像のうち、尊氏・義詮・義満の3体は幕末の文久三年に首が位牌とともに賀茂川べりに晒されるという事件がありました。矯激な尊攘派志士による犯行で、幕府に対する挑発行為として京都守護職会津藩によって犯人が逮捕され、処罰されています。当人たちには何の関係もないのですが、イデオロギーが絡むと変な事件が起きます。泉下の三人も怒るより呆れていたのではないでしょうか。
 ただ。、愚劣な事件でも影響は大きく、会津藩はこののち尊攘派志士を厳しく取り締まるようになり、新選組の成立につながります。

 等持院は庭もいいです。回遊式庭園で、背景となる位置の立命館大学の建物がやや邪魔ですが、3月という時期でも艶やかに感じられました。
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 この庭園の中ほどには尊氏の墓とされる宝篋印塔があります。今回も墓参り達成!
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 さて、ここからは北野天満宮までお散歩することにしました。風は冷たいですが 日差しが暖かく、お散歩日和です。
 ちょっと歩くと真如寺です。普段は公開していません…公開中!?

 実は京都観光協会が「京都の冬の旅」キャンペーンとかで、特別公開が各所で行われていたのです。臨済禅1150年忌で禅寺を中心に特別公開の嵐! スタンプラリーなどもやっていますが、興味なし。でも特別公開は垂涎です。
 どうせ非公開だと思って通り過ぎそうでしたが、慌てて踵を返して拝観します。

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 真如寺の一般公開は初めてのこと。なかなか貴重なチャンスでした。
 真如寺は五山十刹のうち、十刹に数えられる禅宗寺院です。開基は室町初期の有名人、無学祖元。その後夢窓疎石が整えました。文化財としては半僧坊大権現、原在中の襖絵などがあります。庭も綺麗ですが、カキツバタなどの花の季節ならもっとよかってでしょうね。
 個人的には大旦那高師直の位牌があったのが嬉しいですね。高師直はクセの強い人物で、悪人として描かれることは多いですが、武将としても政治家としてもかなりの逸材でした。彼がいなければ尊氏の事業は半分しかできなかったのではないでしょうか。

 京都は街歩きが楽しい街。真如寺を過ぎてぶらぶら歩いていると…。
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 住宅地に突然現れたのは二条天皇陵でした。こういうことがあるから京都は油断ならない(笑) 二条天皇は後白河院の子で、鳥羽法皇の以降で即位しました。後白河は彼を即位させるために、その中継ぎで選ばれたのです。
 後白河院政に対抗して親政を行いましたが、夭折してしまいました。

 次は平野神社です。桜が綺麗なとこですが、まだまだ。でも、いい感じです。社殿が重厚な作りで、素敵です。
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 ぶらぶらの最後は北野天満宮。受験シーズンは終わっているので、賑わいは一段落していますが、梅もまだ咲いていますので、浮き立つようなざわめきはあって、楽しいですね。
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 名物の長五郎餅もいただきました。美味しい~
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 まだ梅園は開いていましたが、最盛期は過ぎていましたので割愛。露店のざわめきなんかを眺めながらぶらつきます。京都の寺社は閑寂なところが多いですが、先ほどの平野神社や北野天満宮のように、沢山の人で賑わう雰囲気も楽しいです。行き交う人も笑顔ではしゃいでいたりして、誰も神妙な顔なんかしてません。
 でも、神前ではみんな丁寧に頭を下げています。日本の神道の素敵なとこですね。

 散歩はここまで。時間も限られているので、タクシーで大徳寺に移動しました。


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平成28年 初詣 

 今年の初詣は加賀一の宮、白山比咩神社です。いつもは雪がふるので歩くのが大変ですが、今日はなんと10℃ほどもあって、暖かい初詣になりました。
 スキー場もオープンしていないし、天気はいいしで、相変わらず拍子抜けのお正月です。
 駐車場が広くないので、神社までは暫く渋滞。200台ほど行列を作っていました。

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 言うまでもなく、白山比咩神社は全国2000社に及ぶ白山神社の総本社です。

 白山比咩神社といえば、白山さんを深く信仰した戦国時代の剣豪、草深甚四郎を思い出します。来歴不明ながら、剣聖塚原卜伝と互角に勝負したという伝承があります。加賀の前田家には「深甚流」という流派が伝承しています。今度は甚四郎の墓でも詣でますかね。

 子どもたちが元気に育ちますように、そして東日本大震災の被災地の復興が1日でも早く進みますように…

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 何だ、この顔www




2015 冬の京都 

 先日、ちょっとしたことで京都に行ってきました。観光の時間も少しあったので、いくつかお気に入りの寺社を回ってきました。

 京都にはたくさんお気に入りがあるのですが、その一つが紫野の大徳寺です。鎌倉時代、宗峰妙超開基の臨済寺院で、一休宗純が従事したことでも知られます。
 特に安土桃山時代に至って戦国史を飾る多くの人物が関わっていて、私としてはその面で馴染み深いところです。例えば、羽柴秀吉は山崎の合戦ののち、大徳寺で信長の葬儀を主催しています。
 寺域は縮小されたとはいえ、広さが保たれていて、歩いていると時を忘れる空間です。

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 山門、「金毛閣」です。最終的に千利休の寄進によって完成した二層の建築。この上層に寄進者の利休の木造を安置したたため、秀吉がその下をくぐることになったのを怒り、利休切腹の一因になったとも言われるいわくつきの山門です。時代を反映した豪壮な建築ですね。

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 こうやって歩くのが楽しい大徳寺。喧騒を離れ、ゆっくりと過ごしたいですね。歩くだけなら無料です(笑)

 大徳寺は塔頭が多く、それぞれが優れた作庭や貴重な文化財などで知られています。ただ公開しているところが少なく、指を咥えて眺めるだけになってしまうのが残念。
 また、拝観料も全体ではかからない(本堂とか入れないから当たり前か)ですが、塔頭ごとに必要で、結果から言うと今回1800円かかりました(汗) どうにかならないかな~


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常総ツーリング 晩秋 

 昨日は珍しく平日に休みだったので、CBくんでツーリングにでかけました。
 いつもなら山に行くのですが、もう寒いので冬装備を着込んで平地ツーリングです。のんびり走れるところ、と思って霞ヶ浦を目指すことにしました。

 どうせなら、と色々寄り道を考えてしまうのが私の悪いところ。とりあえず霞ヶ浦のちょっと手前、牛久の大仏でも拝むtころから、と牛久を目指すことにしました。
 それほど急ぎませんし、高速に乗ってしまうと面白く無いので、しばらく下道で行くことに。

 青葉区から国道246号で東京へ向かいます。平日の朝にガッツリ都内を走るなんて初めてですが、やっぱり混んでますね。玉川通りに入ると、バイクでもかなり苦しくなります。
 それでも渋谷を抜けると、数多い信号に悩まされつつもスムーズに流れるようになります。
 三宅坂から桜田門、日比谷を経て銀座へ。そういや、銀座をバイクで走るなんて初めてですね。

 日本橋からは浅草へ。地下鉄での移動ばかりなので、意外と位置関係や距離感がわかっていません。バイクで走ると新鮮です。
 浅草からスカイツリーを眺めつつ6号線へ。四つ木、亀有と進んで気が済んだので、外環道へ出て常磐道に乗ります。ちょっともったいないですかね。

 牛久あたりではまだ天気が悪く、雲が垂れ込めて霞がかかったような状態でした。それでも近づくと、
常総ツーリング 1
 おぉ、見える見える! デカイですね~。正直、油断してたらギョッとしそうですが。

常総ツーリング 2
 足元まで来ると、ホントに大きいです。青銅製としては世界一の高さで体だけで120mだとか。胎内に入って眺望を楽しむこともできますが、天気悪いので割愛。大きさを堪能したので十分です。

 次は霞ヶ浦のほとり、土浦へ。ここではお城を攻略します。常総ツーリング 3
 土浦城です。もとは戦国期に小田氏が築いたもののようですが、現在の城郭は近世に入封して土浦藩を立藩した藤井松平氏の松平信一が整備したものです。土浦藩は変遷を経て土屋氏が入り、維新を迎えました。
 この土屋氏は戦国期に武田氏の家臣だった家で、信玄の遺臣を重用した家康によって召しだされました。初代土屋忠直は、天目山で武田勝頼に殉じ、「片手千人斬り」と称される活躍をしたといわれます。

常総ツーリング 4
常総ツーリング 5
 城跡は二ノ丸と本丸を公園として整備しています。ここだけ見るとさしたる工夫もない(馬出しなどには武田流が見られるようです)城で、本丸は低い掻き揚げの土塁ですし、広さもそれほどでもありません。東西の隅櫓は復元されたものです。

常総ツーリング 6
 本丸入り口の櫓門は近世以来の遺構です。さて、霞ヶ浦の周辺は低湿地となっていて、水害が多い地域でした。逆に言えば水が豊富にあり、土浦城も水を活かして何重にも水濠を巡らせていて、本丸単体の防御力は低くとも、水をいかした構造的な強さがあったのではないかと考えられます。
 しかし、三ノ丸などの外郭は市街地化していて、往時を偲ぶことはできません。もしこれが残っていれば、相当に雄大な景色だったのではないでしょうか。土浦の市街地は相当不便になったことでしょうが。

 日本の城郭遺構は殆どが中心地だけの保存で、惣構え全体が見られる城はほとんどありません。それではその城の防御思想が見えてこないのですが、しょうがないことですかね。それが最も見られるのは首都東京の江戸城だというのも皮肉な話です。


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南三陸 山歩きツアー② 

 パート②は入谷編です。私はこれまで南三陸町というと津波の被災地のボランティアがほとんどで、内陸にある入谷にはあまり縁がありませんでした。
 今年の3月のボランティア感謝の集いの時に、娘をつれてオクトパスくん作りを体験したのが、初めて(こちら)でした。今年の夏は、応縁団の「おでって」に参加したので、そのときにゆっくり入谷の温かな雰囲気を味わい、南三陸町の魅力の奥深さに感じ入ったものです。
 今回はじっくり入谷を楽しめるのを楽しみにしてきました。

 入谷地区はリアス海岸中心の南三陸町にあって、唯一内陸部にある、のどかな里山の集落です。海からも遠く、東日本大震災でも南三陸町の各地区の中で唯一津波の被害を免れました。
 その代わり、東北自動車道方面から南三陸町に来て最初の集落でもあるので、被災地支援の拠点として、避難所や物資の集積、炊き出しなど多くの場面で町の復興を支えました。

 では出発です。峠を少し下ると、このような巨石が。
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 先ほどの鐙石もそうですが、各所になぜか巨石があって、それぞれに様々な言い伝えがあるのが面白いですね。

 峠で本来は昼食を取るはずだったのですが、前述のとおりかなり寒い。弱っていたのですが、歌津から入谷に入ったことでガイドさんが交代になり、入谷のガイドさんの伝手で、近くの農家におじゃまさせていただいて、お部屋でお弁当を食べさせてもらえることになりました。みかんまでごちそうになってしまって…。

 こちらでは庭にも幾つもの作物が育っていますが、スダチなどもありました。これもご厚意で少し頂いてしまいました。本当に有難うございます。
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 突然の訪問でしたが温かく迎えていただきました。度は地元の方とのふれあいが何よりです。幸せでした。

 入谷山の神平という入谷地区でも最も奥の集落は、入谷三山の一つ新行堂山の麓にあります。ちょっと山に入って行くと、ここにも巨石がありました。
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 なかなかの大きさですね。ひび割れていますが、嘘つきは通れないとのこと。…そんなこと言われるとためらってしまうではないですか。いや、嘘なんか、つつつつつついてないですよ。

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 さすがにこいつは余裕しゃくしゃくでした。楽しげに遊びまわっています。

 私はというと…。
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 必死ですが、ちゃんと通れましたって!

 それにしても、入谷の農村の風景は実にいいです。
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 下の写真では新行堂山が望めます。入谷地区は北方を新行堂山・惣内山・童子山に囲まれていて、南は本吉街道(398号線)に向かって開けています。

 入谷は中世期、金を産出し「入谷千軒」と言われるほど繁栄したそうです。といって、この時代は鉱山を深く掘ったわけではなく、砂金を採るか、露頭の岩を砕いて金を得ていました。その後寂れ、よすがを感じることは殆どできません。
 現在は穏やかな農村です。幾つかの畑や農家を見させていただきながら、美しい里山を歩くうちに、この日の宿に着きました。

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 泊まるのは「さんさん館」です。見ての通り、廃校になった林際小学校を改装した宿泊施設です。懐かしい木造校舎が素敵です。

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 板張りの廊下や掛け時計、木枠のサッシ、足踏みオルガンなど、どれをとっても懐かしいですね。

 極め付きはこれ。
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 さすがにこれは使ったことがない(笑) 林際小学校は廃校になって20年位ですから、どこから引っ張りだしたんでしょうね。
 それにしても、中の探検は楽しい経験でした。とくに近代的な鉄筋コンクリートの小学校に通う娘からすれば、新鮮だったようです。

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 夕食は海鮮バーベキューです。ホタテや鮭やイカ、何でもかんでも美味しいんですよね。夕景を眺めながら、三陸の秋の味覚を満喫。
 ついでに、さんさん館で出してくださったデザートも楽しくてよかったです。マショマロや焼きバナナのチョコフォンデュ。鉄板の上で湯煎してチョコ溶かすなんて、意外な技でした。
 ゲームなども楽しんで、暗くなるまでゆっくりしました。最後に炭火で暖まりながら、地元の方に震災当時の話を聞きました。避難した屋上で膝まで津波に濡れ、そこで一夜を明かしたことや、間一髪避難が間に合ったこと、炊き出しでたくさんのおにぎりを作ったこと…。

 いつの間にか空はたくさんの星が輝いていました。時間が早いので、夏の大三角がまだ残っていて、秋の代表ペガススの四辺形と競演していました。
 部屋は教室を改造してユニットバスとベッドが入った洋室でした。食事の後は寒くて仕方がなかったので、部屋をガンガンに暖め、ベッドに寝転がって娘といろいろ話していましたが、8時前には眠くなってしまってそのまま撃沈。


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japantourist

Author:japantourist
3児の父、リターンライダー。歴史マニアにして、レガシィB4を乗り回し、天文書を片手に星空を眺める。
横浜FCを追いかけ、サッカーボールを蹴っ飛ばす。
ホントは何が好きなんでしょうか・・・

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